なかなか旅行に行けない時でも、各地の郷土料理を取り寄せて、お家で美味しいものを楽しむことはできます。名古屋の名物「味噌煮込みうどん」もその一つ。今回は「山本屋総本家」の生カレー煮込みうどんをご紹介いたします。

名古屋めし「味噌煮込みうどん」の特徴

「名古屋めし」の代表的な 味噌煮込みうどん 。でも、初めて 味噌煮込みうどん を食べた方がよく言うのが「まだ、生煮えじゃない?!」「芯が残ってない?!」

名古屋名物【味噌煮込みうどん】をお取り寄せ!美味しく食べる方法とは?(山本屋総本家)
(画像=blog.goo.ne.jp トリップノートより引用)

いえいえ、それくらい硬いのが 味噌煮込みうどん の一番の特徴なのです。しっかり煮込んでもなお、上記の写真のように、この張り。ちゅるちゅる食べるうどんではなく、もぎゅもぎゅ歯でしっかり噛んで食べるうどんです。

今ではクレームを避けるために、柔らかいうどんを出しているお店もありますが、やっぱり「味噌煮込みうどん」は 太くてコシのある生うどん でなければ、その本領を発揮できません。なぜなら 八丁味噌で煮込む ことで美味しくなるからです。

八丁味噌 とは、いわゆる豆味噌。よく、お味噌汁を作る時、「味噌を入れたら煮込んではいけない」と言いますが、八丁味噌 は別物。一般的な味噌は煮込むと確かに風味が飛んでしまいますが、八丁味噌 だけは煮込んでもその味わいはヘタれず、味噌の美味しい味が、麺や具材にしみ込んでいくんです。

だから “味噌煮込み”。小鍋で味噌と具材とうどんをグツグツ煮込んで美味しくなるのです。

起源は「ほうとう」?!

では、愛知で味噌煮込みうどんが郷土料理になったのはなぜなんでしょう?!そのルーツは、山梨の郷土料理である「ほうとう」にあると言われています。

戦国時代、甲斐(今の山梨あたり)で名を馳せた名将 武田信玄 が、陣中で食していたのが「ほうとう」。その頃、武田信玄に仕えていた武士が、武田氏滅亡後に徳川家に仕えたことで、尾張(今の愛知あたり)に「ほうとう」が広まり、そこへ八丁味噌など尾張ならではの食文化が取り入れられたんだそう。

ちなみに、 豆味噌 のことを 「八丁味噌」というのは、豆味噌が、徳川家康の居城だった 岡崎城 から、西へ 八丁 離れた 八丁村 で作られていたから。この味噌は、家康に従う 三河武士 が、戦の際に持って行ったほどだと言います。

味噌煮込みうどんといえば「山本屋」…ではない!

多くの旅行客が「山本屋が美味しいらしい!」と名古屋界隈の味噌煮込みうどん屋に訪れます。しかし、正確にいうと「山本屋」というお店は存在しません。

よくWEBの紹介でも「名古屋の味噌煮込みうどんと言ったら “山本屋” !」という謳い文句を見かけますが、「山本屋」ではないのです。どういうことなのか、ご説明いたします。

「山本屋本店」と「山本屋総本家」は違う

名古屋を中心に、「味噌煮込みうどん」の代表店としてお店を展開しているのは「山本屋本店」と「山本屋総本家」。同じ「山本屋」を謳っていながら、この2つのお店は姉妹店などではなく、お互い「うちが本家だ!」と昔からバチバチ競っている別会社なのです。

さらに、それぞれの会社から派生した「山本屋なんとか」もたくさんあって、ややこしい!

大元は大正時代の「山本にこみ」

なぜ両社とも「山本屋」を謳っているのか?!それは、大正時代まで遡ります。名古屋は大須に「山本にこみ」というお店があったのです。これは当時の地図にも明確に印されているそう。「山本にこみ」が閉店になった後は、第二次世界大戦になり、文献などもなく正確なことはわかっていないそうですが、「山本屋本店」と「山本屋総本家」ともに、それぞれ主張はあります。

大正時代、この「山本にこみ」で働いていた従業員がお店を引き継ぎ、多々世代交代もありながら味を守ってきている、と主張するのが「山本屋総本家」。

そして明治に入り、「山本にこみ」のレシピを譲り受け、屋号を買い取ったと主張して、チェーン展開したのが「山本屋本店」。

というわけで、名古屋で「山本屋に行きたい」と言ったら「どっちの?!」となるわけです。でも、両者とも、味に大きな違いがあるわけではなく、どちらも美味しいのは間違いありません。

名古屋名物【味噌煮込みうどん】をお取り寄せ!美味しく食べる方法とは?(山本屋総本家)
(画像=blog.goo.ne.jp トリップノートより引用)

そんな、美味しい名古屋めしの味噌煮込みうどん、本場の味はお取り寄せで家で食べることもできます!今回は、山本屋総本家 の カレー煮込みうどん をご紹介します。