DRESS連載『完璧になれない私の話』では、Twitterでフォロワー7万人以上を誇る恋愛コラムニスト、エマちゃんのちょっとだけかっこ悪かったり、言いにくかったりするお話しを綴っていきます。今回は、友人関係についてのお話しです。みなさんは「女の友情はハムより薄い」って思いますか?

「女の友情はハムより薄い」なんて言葉もあるけど、なんやかんや最後に救ってくれるのは女の友情だと私は思っている。

女性同士で助け合える瞬間は数多くある。時にはお節介もありながら、そのお節介が、なかなか自分からは甘えられない状況のときに、救ってくれたりする。

「ねえ相談があるんだけど聞いてくれない?」と、ただ話を聞いてほしいだけの、なんとも自己中心的な“相談”にも、彼女たちは一生懸命同調してくれて、一緒に怒ったり、悲しんだりしてくれる。時に聞いていたほうも自分の話になり「わたしも今こんな悲惨な状況だから」と暴露話をぶっ込んできたりして「お互いヤバすぎ(笑)」と爆笑しあっている。特別な共感の在り方がそこにある。

■信頼できる私の女友達

男性と一緒にいる方が楽だという人の気持ちもわかる。私自身、「女同士だから」という理由で構えるときもあって、より気を使うのはどちらかと言えば”女性”。

男兄弟の中で育ってきたことや仕事が好きであまり家庭的ではない一面とか、女性同士の嫉妬が苦手なこと、単純に男好きだったことなど、いろんな要素が合わさって、すぐに距離感が近付くのは男の方。

でもなんやかんや、私の人間関係を構成するのは女性。
仕事もプライベートも、最後に私を救ってきてくれたのが女性だからかもしれない。

たとえば仕事なら、いわゆる「偉い人」には男性が多いので、仕事をくれたり仕事を繋げてくれるのは、ほぼ男性。ただそれに伴いトラブルも多くて、「仕事仲間」ではなく「男女」としての関係性を求められる場面もあった。
でも女同士となれば、いち仕事人としての需要と供給、本当の意味で人間性が好きだからタッグを組むことができた。そういう感覚がある。だからこそ下心などとは無縁に努力が認められた喜びや、実力をまっすぐに見てもらえる感覚が、トラブル続きの若い頃の私にはうれしかった。気付けば今は、8~9割は女性との仕事かもしれない。

■友情は長い糸のようなイメージ

友達もやっぱり同性の方が多い。

男友達もいるけれど、お出かけしたり、お茶をしたり会う頻度が高いのは女友達。なにか自分に事件があったときやうれしいことがあったときに、真っ先に報告したり、どう考えても自分だけじゃ処理しきれない悩みを相談するのも私の場合は女友達だ。

正しい答えだけを返してくれる人よりも、目の前の相手のことを理解し、フラットな視点で見てくれて、味方になってくれる友人にやっぱり話したくなる。私はそんな女友達に恵まれている。

とはいえ「女の友情はハムより薄い」を感じる人たちがいるのもわかる。
女性は結婚や出産などのライフイベントによって、状況がガラッと変わってしまうし、その時々によって大切にしたいものも変わってくる。

恋愛をすれば相手の比重が大きくなったり、子どもを産めば子どもの比重が大きくなったり。愛情や熱量を注ぐ対象や時間の使い方、優先順位は人によって大きく変わる。

でもだからと言って心の底から「女の友情はハムより薄い」とは思えないし、「そんなことはない」と堂々と反発したい。

そもそも私にとっての友情は膜ではなく、長い糸のイメージ。長い目で見るものだと思っている。たしかに私自身も女友達が結婚して地方に引っ越したことや、子どもができたことで、会う時間が減ったりもした。お互いに付き合う人が変わり、共通言語が少なくなって、理解し合えないもどかしさ、価値観の変化に戸惑うこともあった。繋いだ糸が太く強くなるときもあれば切れそうになることもある。

けれど、会う時間が減ったって、価値観が相違したって「この子が好き」ということに変わりはない。仲の良さは一緒にいる時間だけに比例するものじゃない。お互いの時間や、人間関係や、環境を尊重して一緒にいることこそ、本当の仲の良さだと感じる。そこまでお互いを思いやって大事にする友情は長く続いていくな、という実感がある。

本当はお互いの関係性にしっくりきてないのに、無理やり繋がりを維持している場合も意外と多いと思う。当たり障りなくやれてるならまだしも、尊重し合うことなく悪口を言い続けるその”友情”にどんな意味があるんだろう。

■糸が切れたり、また結ばれたりがあってもいい

だから私は相手としばらく距離を取るとか、縁を切るというのは悪い話ではないなと思う。ときにはぷっつんと切れて離れることがあっても、数カ月後……あるいは数年後にお互いが成長したり、価値観の理解が深まってさえいれば、また糸を結ぶことができるかもしれない。

私にも長いこと仲良くしていた友達がいたけれど、ある時期から会うとマイナスのエネルギーをもらうようになってしまい、距離をとった経験がある。私から見たら当時のその友達は付き合う人や、身を置く環境が悪くなってしまっていた。私を含む周囲の人間にも実害が及ぶようになってしまった。もしかしたら彼女にとってはそれが生きる場所で、輝ける場所だったのかもしれないし、私への行動も悪気がなかった可能性だってある。
だから私が彼女を救うとか思ってしまうのはおこがましい話で、彼女がそこでイキイキするなら遠くから見守っておこうと思ったんだよね。

それも長い目で見ていて、いつかまた結び直す時もあるかもって思っている。だから「嫌いになって一生顔を見たくない」となる前に距離をとった。

未来はわからない。私にとっても彼女にとっても、また交わるときがきたらうれしいなって思う。絶望感によって離れる友情もあれば、お互いの未来が良くなればいいよね、と希望を持って離れる友情もあると思う。長い糸を垂らしておけば、いつかまた結ぶときが来るかもしれないから。

Illust/kame(@kameillust)


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