日本国民の三大義務に「教育の義務」「勤労の義務」「納税の義務」があります。
これらは国の決まりである「日本国憲法」で定められている義務であり、権利であるとされています。
大人になったら、みんな働く。多くの人が子どもの頃から当然のこととしてそう認識しています。
では、私たちが今働いている理由は「国の決まりだから」でしょうか?
答えはきっと違います。そう、働く理由は人それぞれ異なるはずです。例えば
- 仕事を通じて世の中の役に立ちたい
- スキルアップしたい、高い能力を身につけたい
- やりたいことや夢を実現させたい
などが働く理由として挙げられます。
では仮に、これらの要望が全て叶う仕事でも、収入がゼロだとしたらどうでしょうか。給料がもらえなくても、今の仕事を続けられるでしょうか?
「収入のために働く」のは、間違っている?
多くの人が、生活のため、収入のために働いています。よって、働く理由がお金であるという考え方は間違いではありません。
人間はやりがいや目標の前に、生命を維持しなければならず、明日の食事にも困るような生活であれば、やりがいどころではありません。「まずは人間としての生活基盤を整えるために働く」という意識を持っていて当然です。
加えて冒頭で述べた通り、私たちには「勤労の義務」と合わせて「納税の義務」があります。国民の責任として納税がある以上、やはりお金が必要です。
日本国憲法第30条
「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」
国税庁 納税の義務
収入は生活する上で必要不可欠なものです。生活するため、生きるために働くという意識は、悪いことではなく、むしろ健全な考え方と言えるでしょう。
しかし、働く理由が収入のみ、お金のためだけに働いているとなると、仕事のモチベーションの基準は収入だけ。
給料をもらうことだけを目的に仕事をするとなると、なんだか味気なく、仕事を楽しめなくなってしまうのではないでしょうか。
「収入」と「やりがい」心のバランスを取ろう
平日の8時間以上を仕事に費やして生きている以上、働く理由が収入だけになるのは少し寂しいものがあります。
確かに十分な収入があれば、生活水準は向上しますし、金銭的な不安からは解放されるかもしれません。しかし、仕事は時に「お金以上のもの」をもたらしてくれるものです。
仕事を通じて知らなかった世界の知識を得られる、仲間と出会う、できなかったことができるようになる。そんな経験を通じて人は成長していきます。
仕事に失敗して悔しい思いや恥ずかしい思いをした場合でさえも、自身の行いを振り返ることで得られるものがあるのです。
困難なプロジェクトの遂行にあたり、仲間と励ましい協力しあって、絆を深めあう。これも仕事だからこそ得られる貴重な経験と言えます。仕事を通してやりたいことを叶えられたら…夢が形になったなら…その実感こそが、大きな財産となるでしょう。
働く理由や仕事の判断基準が全て収入や年収だとしたら、自身の成長機会や感動の瞬間を見逃してしまうかもしれません。
働く上で大切なのは、収入とやりがいの、心のバランスです。収入かやりがいか?0か100かでは語れません。
多少どちらかに比重が傾くことがあるとしても、収入もやりがいも得られる手段が仕事であると捉えることで、仕事に対する充実感が得られやすくなるはずです。