今から約1,200年前、弘法大師(空海)が修行のために、たどった場所を巡礼する事を「お遍路」といいます。八十八ヶ所のお寺を巡礼することで、心の中にひそむ煩悩をとり払い、悟りを開くことができるといわれる四国遍路。でも歩いて四国を巡るなんて、そんな時間が無い!体力的に大変そう!というイメージがありませんか?大丈夫です、弘法大師生誕の地、香川で七ヶ寺を巡り、四国八十八ヶ所を参拝した事にできる「屏風ヶ浦七ヶ所まいり」があります。江戸時代から伝わる、弘法大師のふるさとを巡る、1日ゆる遍路へ出かけましょう!
お遍路の歴史と「屏風ヶ浦七ヶ所まいり」
1,200年の歴史が詰まった、巡礼の道
今から1,200年前、弘法大師が42歳のとき、人々に災難を除くために開いたのが四国霊場。お遍路の始まりとしては、衛門三郎という人物が四国で修行していた弘法大師の後を追ったという説や、高弟が弘法大師の入定後、師の足跡を遍歴したのが始まりなど、諸説ありますが、はっきりしたことはわかっていません。
人間には88の煩悩があり、四国霊場を八十八ヶ所巡ることによって煩悩が消え、願いが叶うと言われていました。主に修行者が巡っていましたが、江戸時代に入り一般の人々の巡礼が大衆化されました。現在では巡礼者の世代は広く、目的も、先祖供養や健康祈願、自分探し、観光など様々です。最近では、若い女性の巡礼者も増えているそう。
「屏風ヶ浦七ヶ所まいり」と「七福神なで仏」
江戸時代後期に書かれた『四国八十八番寺社名勝』に、「足よはき人は此印七り七ヶ所めぐれば四国巡拝にじゅんず」とあり、屏風ヶ浦七ヶ所まいりは昔から1日で巡礼できる遍路として、親しまれてきました。四国八十八箇所の巡礼が困難な方が、短期間で巡礼できる遍路として始められたのが始まりのようです。
また、71番札所弥谷寺から始まるのは、寺のふもとにある多度津港が金刀比羅宮を参拝するための玄関口として栄えたためともされています。また七ヶ所まいりでは、各お寺に祀られている七福神を撫でる事で、七つの福運を授かるとされています。
【1】第71番札所 弥谷寺(いやだにじ)
岩壁と一体となったお大師さんは必見
古くから霊山と崇められ、山岳道場の場であった弥谷寺。いたる所に岩をくり抜いたお堂や、お地蔵さんがあり、その壮大さに目を奪われます。本堂、大師堂まで長い階段があり、7ヶ所まいりの中でも一番体力を使う寺院。しかし、そこからから眺める景色は清々しく、讃岐平野を見渡す事ができます。秋の紅葉が美しいお寺です。
七福神なで仏は、心願成就を司る大黒天さま
ご利益は、五穀豊穣、子孫愛育、出世開運、商売繁盛です。
次の第72番札所 曼荼羅寺まで「車で6㎞10分」「徒歩で3.8㎞60分」
【2】第72番札所 曼荼羅寺(まんだらじ)
弘法大師の先祖ゆかりの寺
弘法大師の先祖である、佐伯家一族の氏寺として建てられたお寺。境内は綺麗に手入れされており、門を入ってすぐのところにある、大きな鬼瓦の飾りが目を引きます。樹齢1,200年を超す弘法大師お手植えの「不老松」や、平安時代末期の歌僧の「西行の昼寝石」などの見どころも。不老松は現在、松くい虫に浸食され、その幹で彫られた、笠松大師が飾られています。
こちらは特に「お接待所」が充実していて、境内に広いお接待所、奥の階段を上ると冷たい抹茶を出してくれる所がありました。
七福神なで仏は、福・禄・寿を司る福禄寿さま
ご利益は、財運招福、延命長寿、立身出世、招徳人望です。
次の第73番札所 出釋迦寺まで「車で300m2分」「徒歩で300m7分」
【3】第73番札所 出釋迦寺(しゅっしゃかじ)
弘法大師が仏門に入る事を決めたお寺
弘法大師が幼少のころ、断崖(現在の出釋迦寺奥の院)から身を投げ、お釈迦様に助けられ、仏門に入る事を決めた、という伝説が残るお寺です。こじんまりとしたお寺で、境内へ行くまでには「三鈷の松」と呼ばれる松があり、子授け・安産成就のご利益があるとされています。
時間と体力のある方は、さらに山の上部にある、奥の院まで足をのばしてみて下さいね。そちらには、弘法大師が身を投げた、捨身ヶ嶽禅定があり、さらに上の行場まで上がれば、讃岐平野と瀬戸内海が一望できます。紫陽花の季節はとくにおすすめです。
七福神なで仏は、商売を司る恵比寿さま
ご利益、商売繁盛、除災招福、五穀豊穣、大魚守護です。
次の第74番札所 甲山寺まで「車で3.3㎞10分」「徒歩で3.3㎞45分」