2. 兄弟愛あふれる「河原兄弟」を祀る「河原霊社」
拝殿の右側には細い通路があります。一見、「こんなところに入って行っちゃっていいの?」と思うかもしれませんが大丈夫です。その通路を道なりに進むと、三宮神社の裏に出るのですが、そこにあるのが 河原霊社。
この霊社は、三宮の地元の有志が建立したものです。都市開発で何度も移設を余儀なくされ、今は神官のお家の敷地内のようなところにあるのですが、この社に祀られている 河原兄弟 は、源氏軍の英雄。この兄弟に語り継がれている話は心打たれます。(三宮神社の主祭神「タギツヒメ」とは関係はないです)
時は 平安時代、源氏 vs 平氏 の 源平合戦 の真っ只中。神戸のこの地では、平氏の勢いを源氏がひっくり返す合戦が繰り広げられました。その、ひっくり返す勢いを作ったのが、平氏の陣営に たった2人 で突っ込んだ 河原兄弟 です。
この兄弟は、武士団として源氏に加わり、今の埼玉からはるばる神戸までやってきたのです。“武士団” というと聞こえは立派ですが、当時は大小様々。河原兄弟 は たった兄弟の2人 の武士団でした。家来もいません。でも、この兄弟には強い想いがありました。それは「手柄を立てて、故郷に錦を飾ること!」
しかし、相手の平氏は、自然の要塞とも言える 生田の森 で陣を構えており、こう着状態。打開すべく、兄が「私1人、敵陣へ切り込む!」と言います。まず間違いなく死にます。だからお前(弟)は、河原家としての手柄を見届け、故郷に伝えてくれ、と。
弟は猛反発!「たった2人きりの兄弟、兄の死と引き換えに手柄を得ても、うれしくもない!別々に死ぬよりも、今、一緒に行きます!」そうして兄弟2人で切り込んだそうです。
最初は、平氏軍も「たった2人だ、大したことはないだろう」と見くびっていましたが、この兄弟の強さにあたふたすることに。結果的には兄弟は討ち死にしましたが、この特攻を知った源氏軍の士気は最高潮に!こうして、生田の森での平氏の陣営はあちこちでほころび始め、平氏が敗走するに至ったのです。
河原兄弟の活躍は、鎌倉にいた源氏のトップ、源頼朝の耳にも入り、兄弟を弔う寺や神社を建立、息子には土地を与え、地元の人たちは「河原兄弟の塚」を作るなど、英雄となりました。まさに「故郷に錦を飾る」ことができたわけですね。
《注意》拝殿から河原神社への通路に、もう一つ祠があります。こちらは朱色に塗られており、三宮稲荷と安高稲荷大明神が祀られています。河原霊社ではないので、ご注意を。
3. “ハラキリ” が世界に知られることになる「神戸事件発祥地」
外国人が「ハラキーリ!」と言うシーンを映画などで見た覚えはありませんか? 日本人のハラキリ、すなわち 切腹 は諸外国の人たちには衝撃を与えたそうです。その ハラキリ を初めて外国人が見ることになったのが、三宮神社の前で起きた 神戸事件。
鳥居のすぐ左側に、「史跡 神戸事件発祥地」と書かれた石碑があり、簡単な説明書きもあります。時は、大政奉還(徳川家が朝廷へ政権を返上)の直後。徳川幕府は終わったものの、まだ 旧幕府 vs 新政府 の戊辰戦争が起きていた頃です。この頃には、幕府が鎖国を終わらせていたため、外国人がどんどん日本にやってきていました。
そんな時に起きた 神戸事件 、内容を簡潔に言えば、「日本人と外国人の間で起きた小競り合いが、国を巻き込む大ごとに発展した外交事件」です。小競り合いのきっかけは、藩の兵隊たちが隊列を組んで行進しているところを、フランス人の水兵が横切ろうとしたこと。日本では昔から、大名行列のように偉い人が隊列を成している前に入ると、行進を遮ったとしてひどく罰せられたものでした。
でも、フランス人はそんな慣習を知るわけがありません。いきなり日本人に「止まれ!」と槍を突きつけられ、言葉も通じない。「何を言ってるのか? 何をされるのか?!」と、フランス水兵も防衛のために銃を構えます。それにビビった日本兵が先に発砲、これが、ドンパチに発展してしまったのです。
この事件勃発はタイミングも最悪!この時、神戸港の開港 のお祝いに、アメリカとフランスの軍艦 が神戸港に寄港していたのです。そして、一連の流れを目撃していた 駐日イギリス大使 が、アメリカやフランスに緊急事態を発令!
日本 vs 諸外国 の銃撃戦は広がり、日本は 大砲 も持ち出して応戦。三宮神社の鳥居をくぐってすぐ左手(石碑の裏)には、この頃に使われていた大砲が飾られています。
しかし、藩の兵隊たちだけで敵うはずもなく、白旗を上げ銃撃を止めると、イギリス、アメリカ、フランスは外国人居留地の防衛を名目に、神戸の中心部と神戸港を軍事占拠する事態に。
こうなってしまったら、さすがに一藩の責任として終えられず、朝廷(天皇)が出て来ざるを得ません。当時、朝廷は「尊王攘夷(外国勢力は追い払え)」寄りだったのですが、「開国和親(海外へ国を開く)」 へと一気に方針転換し、和平交渉を始めました。
諸外国の要求は、居留地の安全確保以外に、フランス兵に槍を突きつけた藩の責任者を処刑する、というもの。この銃撃戦で死者は出なかったし、先に白旗を挙げたのは日本、その処分は重すぎるのでは?と交渉するも、結局、諸外国の外交官の目の前で、日本兵の隊長、滝という人物が切腹をしたことで、一応は決着をつけました。
手足を縛られた罪人の首を切るのは、欧米でもギロチンがありますが、切腹 = 自害 という光景は、諸外国の人たちには衝撃的だったそうです。また、戊辰戦争の最中に、新政府になってから初めて起きた外交事件で「攘夷」から「開国和親」という方針に転換して一件落着したことも、神戸事件 は歴史上で大きな出来事だったと言えます。
最後に・・・
今ある場所は、居留地の開発、戦争、大震災など、時代と共に場所は二転三転した場所。その度に、幾度にもなる復旧がありましたが、そんな時代を経てもなお、生田裔神八社 の一つとして立派に佇んでいます。神戸八社巡りは観光でも人気コースですし、特に 三宮神社 は、観光地からもアクセス抜群!ぜひ、神戸の町散策の合間に足を運んでみてくださいね。
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