東京都の名勝に指定されている回遊式林泉庭園「清澄庭園(きよすみていえん)」は、都心にありながら自然豊かな環境に恵まれ、四季折々の花や野鳥と出会えるスポットです。三菱財閥創業者の岩崎彌太郎にゆかりがあり、隣接する清澄公園とともに多くの人が訪れます。今回は庭園がある清澄白河エリアの魅力とともに、清澄庭園の楽しみ方を徹底解説します。

清澄庭園とは

清澄庭園を楽しみ尽くす完全ガイド!美しい庭園を回りながら見どころを紹介
(画像=『あそびのノート』より引用)

東京都江東区に位置する「清澄庭園」は、9つある都立庭園のうちのひとつです。

三菱財閥を創業した岩崎家にゆかりのある庭園として知られ、大泉水と呼ばれる広い池を中央に据えた「回遊式林泉庭園」の構造になっています。池を中心に回る散策ルートの所要時間は約40分ほど。

西側の約半周にはバリアフリーのコースがあり、車いすやベビーカーを押しての散策も可能です。また、庭園内には「涼亭」「大正記念館」という二つの建物があり、いずれも集会所として利用できます。

清澄庭園のアクセス方法

「清澄庭園」の最寄り駅は、都営大江戸線または東京メトロ半蔵門線の「清澄白河駅」。駅のA3出口から出て、徒歩約3~4分でアクセスできます。

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(画像=清澄白河駅A3出口を出たところ、『あそびのノート』より引用)

まずA3出口の階段を上ると、正面に見える大通りが清澄通り。この清澄通りを渡って左前方に進むと庭園なのですが、いったん右手にある横断歩道で清澄通りを渡りましょう。

清澄庭園を楽しみ尽くす完全ガイド!美しい庭園を回りながら見どころを紹介
(画像=ここを右に曲がって直進すると庭園の外壁が見えてくる、『あそびのノート』より引用)

渡ったら南(左手)に少し進むと、「清澄庭園」の方向表示があります。ここで矢印に従って右に曲がると庭園の外壁が現れますから、あとは入口まで外壁に沿って歩けば到着です。

清澄庭園の四季の魅力

ここからは、清澄庭園の四季の見どころについて簡単に紹介しておきましょう。

「清澄庭園」は、松と石の庭園として愛されています。桜・バラ・紅葉など、季節を代表する植物が豊富な庭園と比較すると落ち着いた趣ですが、植物の種類が多く、四季それぞれで美しい景観を楽しめます。

清澄庭園を楽しみ尽くす完全ガイド!美しい庭園を回りながら見どころを紹介
(画像=自由広場のソメイヨシノ 画像提供:清澄庭園、『あそびのノート』より引用)

春はやはり桜が有名。清澄庭園の桜は全部で9本。全て庭園南側の自由広場にあります。最大の特徴は、早咲きの「カンヒザクラ」、遅咲きの「サトザクラ」、その中間に咲く「ソメイヨシノ」が揃っていること。3月始めから4月終わり頃までと、長い花見シーズンを楽しめるのが魅力です。

ソメイヨシノは1本だけですが、のびのびと枝を張り、満開時は堂々たる存在感を際立たせます。自由広場のベンチでは持参のお弁当を広げられますが、園内にシートを張ったり、アルコール飲料を持ち込んだりすることはできません。

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(画像=自由広場のハナショウブ 画像提供:清澄庭園、『あそびのノート』より引用)

初夏はハナショウブ。こちらも自由広場で6月前半に咲き誇ります。ハナショウブの花が終われば、庭園の緑が青々とする本格的な夏がやってきます。

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(画像=二枚橋の紅葉 画像提供:清澄庭園、『あそびのノート』より引用)

秋の紅葉はしっとりと色づきます。10月の終わり頃から11月いっぱいは、黄色いツワブキが池を縁取り、冬の訪れを待ちます。

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(画像=雪景色の清澄庭園 画像提供:清澄庭園、『あそびのノート』より引用)

東京に雪が降ることは年に数えるほどですが、この雪景色が見たくて足を運ぶ人も少なくありません。雪の日には、都内とは思えない美しい光景を見られるでしょう。

清澄庭園の歴史

江戸時代から歴史が続く清澄庭園は、時代の移り変わりと共にたくさんの変化を遂げています。庭園の始まりから現在に至るまでの歴史を、少しずつ紐解いていきましょう。

■岩崎家三代が築いた名園

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(画像=現在の「清澄庭園」、『あそびのノート』より引用)

もともとは江戸時代の豪商「紀伊國屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)」の屋敷があったと伝わる土地です。史実に残るのは、享保年間に下総関宿藩主・久世(くぜ)氏の下屋敷として使われていたところから。

この屋敷跡の土地を含むおよそ3万坪を、明治11年(1878年)に買い上げたのが、三菱財閥の創業者として知られる実業家の岩崎彌太郎でした。目的は社員の親睦を計ったり、貴賓をもてなしたりする施設を作るためです。

当時、彌太郎が購入した大名庭園には、後に「旧岩崎邸庭園」となる越後高田藩榊原家中屋敷や、後に「六義(りくぎ)園」となる柳澤吉保別邸六義園などがありました。

そして庭好きの彌太郎が、ここを理想の庭園とするべく、隅田川の水を引き入れて大泉水(池)を整備。全国から運んだ名石を配置して「深川親睦園」を開園させたのが明治13年(1880年)のこと。残念ながらその2年後に彌太郎は没します。庭園の造園を引き継いだのは、弟の彌之助でした。

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(画像=『あそびのノート』より引用)

彌之助の時代に庭園には「洋館」と「日本館」という2つの迎賓館が建てられました。この「洋館」は鹿鳴館を設計したお抱え外国人「ジョサイア・コンドル」が手がけた初めての民間の邸宅建築でしたが、残念ながら「日本館」とともに関東大震災で焼失してしまいました。

洋館が建てられていた辺りは、現在は清澄庭園に隣接する清澄公園の一部となっています。

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(画像=現在の涼亭、『あそびのノート』より引用)

彌之助の跡を継いだ岩崎家三代目の久彌は、明治42年(1909年)に庭園に涼亭を建設しています。

涼亭は国賓であった英国陸軍元帥キッチナーをもてなすために作られた数寄屋造りの小亭でしたが、関東大震災後に庭園内で唯一焼け残った建物となりました。

なお、現在の涼亭は昭和60年(1985年)に全面改築工事を行っています。

■関東大震災と清澄庭園

大正12年(1923年)に発生した関東大震災は、南関東を中心に甚大な被害をもたらしました。

特に火災による被害が大きかった深川地区ですが、清澄庭園では庭内の樹木が幸いし、避難してきた1万人以上の人々の命を救いました。人々の心を癒す庭園としてだけでなく、防災上でも重要な役割を果たしたのです。

しかし、この震災で特に庭園の西側は壊滅的な被害を受けました。このとき被害の大きかった西側に、久彌は震災復興のための対策として貯木場や製材所を設けています。

清澄庭園を楽しみ尽くす完全ガイド!美しい庭園を回りながら見どころを紹介
(画像=『あそびのノート』より引用)

現在の清澄庭園が都立庭園として開園したのは、昭和7年(1932年)7月24日です。比較的震災の被害が少なかった東側約半分の敷地が久彌から東京市(現東京都)に寄付されたことにより、現在のように入園料を払えば誰でも自由に散策できる庭園となりました。

なお、西側部分も昭和48年(1973年)には、東京都が取得・整備し、昭和52年(1977年)からは無料で入場できる開放公園「清澄公園」として開園しています。