写真の山、真っ二つに割れていますよね?!その理由は、「金銀のために、堀り過ぎたから」です。日本海に浮かぶ佐渡島。沖縄本島に次ぐ、面積の大きな有人島として知られる佐渡島ですが、16世紀半ば、金銀が採れると噂が広まると全国各地から人が集まり始め、鉱業が栄えた街なのです。近代遺産として、佐渡金山の歴史を現代へ、また未来へと繋ぐべく、佐渡島と新潟県が世界遺産への登録活動を進めています。江戸から昭和まで続いた、佐渡島鉱業の歴史を巡ります。
「黄金の国ジパング」由来のひとつ、佐渡島
日本はマルコ・ポーロによって「黄金の国ジパング」と表現されましたが、これは当時の日本でたくさんの金銀が採れていたことに由来します。その代表的な産地のひとつだったのが佐渡島です。
金銀が採れると耳にした江戸の初代将軍・徳川家康は、佐渡を幕府の直轄地としました。金銀山を目当てに全国各地から大勢の人が集まり、やがて日本最大の金銀山として、世界有数の産出量を誇ることとなりました。
江戸時代、佐渡で小判の精製が行われるようになり、税収は全て幕府へと流れました。その結果、江戸幕府の財政安定に大きく貢献し、最盛期には5万人が暮らす鉱業都市となりました。
それでは、この佐渡島の金銀山開発にまつわる見どころをご紹介します。
日本最大級、佐渡金山
「道遊の割戸(どうゆうのわりと)」と呼ばれる佐渡金山のシンボルが、この採掘跡です。人々が争って掘り取った結果、山が真っ二つに割れてしまいました。奇観は圧巻です。
佐渡金山は、坑道の総延長が約400キロメートル、最深部は海面下530メートル、採掘された鉱石は約1,500万トン。日本最大の金山です。採掘されていた期間は、16世紀末から1989年まで。比較的最近ですね!
内部は一般公開されており、宗太夫坑(そうだゆうこう)コース、道遊坑コース、ガイド付き世界遺産ツアー、ガイド付き山師ツアーの、4コース開催されています。今回は筆者の参加した、宗太夫坑コースをご紹介します。
「宗太夫坑」とは、江戸初期に開発された手掘り坑道です。ひんやりした坑道内は、水が滴り、音が響き、まるで山師になったかのような感覚になります。