【5】美濃金山城(兼山城)
標高276mの古城山の山頂に1537年、尾張侵略のために斎藤正義が築城し「鳥峰城」と名付けられたのが始まりです。
その後、1565年に織田信長の家臣であった森可成が城主となり「兼山城」と改名しました。可成が近江宇佐山の戦いで戦死すると、次男の森長可が城主となりますが、長可が信濃国川中島に転封となり、弟の森成利(幼名:森蘭丸)が入城します。ですが、織田信長とともに本能寺の変で討ち死にし、再び長可の領地となりました。
その後、1600年に森氏が川中島に再度転封され、建物は解体されたと伝わっており、現在は城跡として石垣などが残されています。
【6】岩村城
全国で最も高い標高717mの高地に建てられたお城で、霧に囲まれる事が多いため別名で「霧ヶ城」とも呼ばれています。源頼朝の重臣加藤景廉の長男であった遠山景朝によって城づくりがが始まりました。
戦国時代、織田・徳川・武田の抗争が激しくなり、1572年には武田軍によって攻略されますが、1575年に再度織田軍に奪還されるなど、岩村城は幾度となく戦場となりました。悲運の女城主「おつやの方(織田信長の叔母)」が統治したお城としても知られています。明治6年に廃城令によりお城は解体され、現在は石垣のみ残っています。
【7】苗木城
岩村城と同じく、苗木城も1574年に一度は武田軍に攻め落とされますが、翌年の1575年に織田軍によって再度奪還されています。その後も先に紹介した兼山城城主の森長可に攻められ、当時の城主が徳川家康を頼り浜松に落ち延びるなど、度々戦場の舞台となりました。
廃城令により現在は石垣だけとなっていますが、自然の巨岩の上に建てられた全国的にも珍しいお城で、お城好きの方々に親しまれています。また天守跡の展望台からは、眼下を流れる木曽川や日本百名山の恵那山の雄姿、木曽の山々の風景などが一望でき、絶景スポットとしても知られています。
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