織田信長公が居城とした岐阜城をはじめ、天下分け目の大戦として知られる関ヶ原の戦いの際に、西軍が陣を構えた大垣城など、岐阜県には歴史の舞台となった名城がいくつもあります。本記事では岐阜県でおすすめの名城7選を紹介します。
【1】郡上八幡城
1559年に遠藤盛数によって築城が始まり、息子の慶隆が初代藩主なりました。慶隆は本能寺の変の後、羽柴秀吉と対立する織田信孝の傘下に属した為、一度は城を追われますが、関ヶ原の戦いの功績により再び城主となります。その後、城主を変還しつつ明治維新を迎え、廃藩置県の際に廃城となりました。
現在の天守閣は、大垣城を参考に1933年に木造再築城として建てられました。
後に土佐(現在の高知県)の大名となる山内一豊の妻「千代」は、遠藤盛数の娘であったと伝わり、城の前には一豊と千代の像が建っています。内助の功として夫を支えた千代と一豊の話は、平成18年に放送された大河ドラマ『功名が辻』でも描かれています。
【2】大垣城
築城においては、1500年と1535年の2説が語られています。関ヶ原の戦いの後、尼崎(兵庫県)の領主であった戸田氏鉄が、尼崎での治水事業の手腕を評価され、1635年に大垣藩の藩主となりました。以降、江戸時代を通して戸田家の居城として栄えたお城です。
関ヶ原の合戦の際には、石田三成など豊臣方西軍の諸将が入城して、西軍の本拠地となりました。その後、徳川家康の作戦にのせられ主力部隊は関ヶ原の地に出陣し敗走します。大垣城に残った約7,500の兵はその後も籠城し攻防戦を試みますが、関ヶ原の戦いから9日後に降伏し開城しました。
明治以降は大垣公園として整備され、1936年には国宝に指定されましたが、1945年の空襲により焼失しました。現在の天守閣は、1959年に再建されました。
【3】墨俣城
墨俣(すのまた)は岐阜の西を流れる長良川の西岸にある土地で、当時は交通や戦略上の要地でしたが、築城時期など不明な点がまだまだ多いお城です。
織田信長が美濃を攻略する際に、木下藤吉郎(豊臣秀吉)がわずかな期間で築いたと伝えられ、「墨俣一夜城」として知られていますが、今も不明な点が多く様々な議論がされています。
現在は墨俣一夜城址公園として整備され、大垣城の天守を模して作られた歴史資料館が建っています。
【4】岐阜城
城の始まりは、鎌倉時代の1201年に鎌倉幕府の軍事目的の拠点として築城されたと言われています。その後戦国時代となり、1539年に斎藤利政(のちの斎藤道三)によって、現在の金華山(稲葉山)の山頂に稲葉城作りが始まったとされています。
1567年に織田信長によって攻略され、美濃を平定した信長は小牧城から稲葉山城へ移転し、城の名前と町の名前を現在の「岐阜」に改名しました。1601年に徳川家康の指示により廃城が決定、当時山頂にあった天守や櫓などは加納城に移築されたとされます。
その後1910年に一度は再築されましたが、1943年の失火により焼失、現在の天守閣は1956年に鉄筋コンクリートにて再建されました。