奈良県五條市には、約2万本の梅の花が咲き誇る「賀名生梅林」があり、毎年多くの観光客が訪れています。少し急な斜面を歩くと、一面に咲く梅の見事な美しさが、甘い香りとともに楽しめます。のどかな雰囲気の梅林を散策してみませんか?
賀名生(あのう)梅林とは
賀名生梅林は、奈良県五條市西吉野町にある梅林です。毎年2月下旬ごろから、急な丘陵地の麓から中腹にかけて、約2万本の梅の花が咲き誇ります。奈良市の月ヶ瀬梅林、下市町の広橋梅林と並び、奈良三大梅林として知られており、毎年多くの観光客が訪れています。
- 例年の見頃 2月下旬~3月下旬頃
南朝三帝ゆかりの地「賀名生」について知ろう
梅林のある賀名生という場所は、南朝三帝ゆかりの地として知られています。南朝三帝とは、南北朝時代の後村上・長慶・後亀山天皇のことを指しています。
南北朝時代は、京都の北朝、奈良・吉野の南朝と、二つの朝廷が存在し、互いに対立していました。その頃、南朝の天皇は、この賀名生の里に滞在したり、一時的な宮を設けたりしていました。北朝が否定されたときには、わずかな期間ですが、賀名生に都がおかれていたのです。
これらの時代を想像したり、知ることのできる施設が、賀名生梅林のすぐそばにあります。興味のある方は、立ち寄ってみてください。
賀名生の里 歴史民俗資料館
賀名生の里 歴史民俗資料館では、南朝に関する資料や宝物の展示があり、西吉野町と南朝のつながりについて知ることができます。また、古くからは育まれた山里の文化、西吉野のくらしについての資料や道具類の展示もされています。
堀家住宅 賀名生皇居跡
賀名生皇居跡は、かつて南朝の皇居として使われた邸宅です。後村上、長慶、後亀山天皇のほか、後村上天皇の先代、後醍醐天皇も、京を追われて吉野に入る途中に滞在したと言われています。この時、郷士の堀孫太郎信増は、邸宅に迎え入れ、手厚くもてなしたそうです。
現在は住宅として使用されていますが、静かな賀名生の里に佇む茅葺きの建物は趣きがあり、国の重要文化財にも指定されています。また、毎年3月下旬頃には、この皇居跡に美しいしだれ桜が咲き、カメラを向ける人も見られます。
梅林を歩いて梅の花を鑑賞しよう
バス停や臨時の駐車場からほんの数分歩くと、賀名生梅林の入口です。ここから少し急な坂道を歩くことになります。
坂道を登ると、白や薄紅色の梅の花がたくさん咲いているのが見えてきます。植えられている品種は実を収穫するためのもので、白加賀(しろかが)、南高(なんこう)などが多いですが、賀名生で古くから育てられてきた林州(りんしゅう)という梅もあります。これは、果実収穫用の品種としては珍しく、薄紅色の八重咲となっています。
軽乗用車がやっと通れるぐらいの道が、梅林内の民家を結んでいます。急な斜面に古くからの民家が点在している景色は、都会の人には新鮮に感じられるのではないでしょうか。このような場所にも梅の木がずっと植えられており、とても見ごたえがあります。
梅林に植えられているのは、どれも似たような樹形をしていますが、たまにしだれ梅が植えられていることもあります。桃色や緑がかった白色などもあり、見ていて飽きないでしょう。
梅林内の農家や道沿いでは、梅干しなどを販売してることもあります。筆者が以前訪れた時には、自家製の梅ジュースや梅酒がいただけるスペースも用意されていました。