私たちは時に、いびつな関係性にすがってしまう
恋愛をするうえで、相性が良い相手ばかりを自動的に愛することができるのなら、どれだけラクだろう。
だけど実際は、多くの人が知るように色恋というものはどうも厄介で、私たちは時に自分と決定的に相性の悪い相手を愛して、そして抜け出せなくなってしまう。
気づいたときには手遅れで、愛してしまった後にその思いを冷ますのは難しいし、どれだけ傷ついても苦しんでも、その関係性にすがりたくなってしまっているものである。
だけどそういう関係は、長引けば長引くほどに「自分」を壊す。いびつな関係は、なりたくない自分を生んで、その自分が相手を傷つけたり、自分を傷つけたりしてしまうのだ。
そう考えるからこそ、私は他人の悲劇的な恋愛の末路を見る度、どうしても考えてしまう。「相手が違ったら、きっと幸せになれたのに」、と。
見つめるべきは相手ではなく、相手といるときの自分
恋愛について語る度、「素敵な自分でいさせてくれる相手を選べ」という言葉を口にする。
選ぶべき相手は外から見える飾られた外面が素敵な人、ではなく、一緒にいるときに自分自身を浄化してくれる、優しい自分でいさせてくれる、そんな相手だと思うからだ。
見つめるべきは相手ではなく、相手といるときの自分なのである。
だからこそいくら「素敵な男性の条件」が書かれたリストを手に町を歩き回ったり、マッチングアプリで右スワイプを繰り返したり、はたまた一瞬優しくしてくれた相手に飛びついても、それは後々、あまり良い恋愛には発展しない。