中山道は江戸時代の五街道の1つで、東海道と共に江戸と京都を結ぶ大動脈でした。江戸日本橋を起点として、京都まで132里(約530km)の道程には、69の宿場が設けられていました。そのうちの11宿が木曽路にあります。中でも今回ご紹介する奈良井宿(ならいじゅく)、妻籠宿(つまごじゅく)、馬籠宿(まごめじゅく)は、観光客にも人気のスポットです。散策が楽しい三大宿場町の共通した見どころ、グルメ、お土産などをご紹介します。
中山道と宿場町について
慶長5年(1600年)、関ケ原の戦いで勝利した徳川家康は、翌年より東海道の整備をかわきりに交通網の整備に着手し、これらの道筋には多くの宿場がおかれました。中山道は木曽を通るので「木曽路」、「木曽街道」とも呼ばれていました。
距離は東海道よりも遠回りでしたが、参勤交代や姫君のお輿入れなどは、川止めや海難を伴う東海道より、山側を進む中山道が好まれたようです。
宿場とは、高貴な人々には本陣や脇本陣が休憩および宿泊施設として、一般の旅人には、階級により旅籠や木賃宿などの施設が設けられていました。
明治に入っての鉄道網発達により、中山道は衰退しますが、国道からはずれた奈良井宿や妻籠宿など、古い町並みがそのまま保存され、結果的には、その素晴らしさが見直されることとなりました。
宿場町で共通している見どころ
3つの宿場町には、以下にご紹介する共通の見どころがあります。また、似通っているけれど、それぞれに町並みの雰囲気が違うので、実際に見比べてみるのも楽しいと思います。
独特の江戸建築
主な建築の特徴としては、2階部分が1階よりも突き出した出梁造りや、千本格子、建物の両側に「卯」の字形に張り出した小屋根付きの袖壁、卯建(うだつ)といった建築様式も見どころです。
敵を阻む「鍵の手」や「桝形(ますがた)」
宿場町には「鍵の手」と呼ばれるクランク形状の道路や、「桝形」という石垣や土塁を築いた場所、あるいは沢などが設けられています。これらは、直線ではなく敢えて道を曲げ、外敵の走行を妨げるのが目的でした。
お上からの掲示板「高札場」
今日でいう掲示板のようなもので、幕府が庶民に対し、ご禁制やご法度等を掲示したものです。お上の威光からか、人々を見下ろすように、かなり高い場所におふれの札が掲げられています。町の入り口周辺にたてられているのも特徴です。
癒しの場「水場」
古くから町の人々の飲み水であり、生活用水であり、火災が発生した場合には、延焼を防ぐための防火用水として、桝形を兼ねても使われていた水場。奈良井宿には、道筋に6か所の水場が点在し、馬籠宿では坂の上下に水車小屋が設けられています。
夕暮れ時の魅力
日中は観光客でにぎわう宿場町も、夕方4時過ぎから店じまいする店も多く、ひっそりとした佇まいは、より一層タイムスリップしたかのような錯覚が強まります。
夕暮れ時、格子やくぐり戸の奥から、そこに住む人々の静かな営みが感じられて、妙に懐かしいような気分に浸れますよ。