韓国の中東部、慶尚北道(キョンサンプット)安東(アンドン)市は「韓国精神文化の首都」と言われ、仮面舞や河回村(ハフェマウル)、陶山書院(トサンソウォン)など、韓国の名だたる文化財が数多く残されている街です。古き良き伝統が残されている一方、保守的であるとも言われている土地柄であり、外国人の多いソウルとは大きく雰囲気が異なります。その安東の市庁で韓国初の外国人公務員として勤務しているのが緒方恵子さん。公務員という硬派なイメージとはうってかわり、韓国ドラマが大好きで最近はご主人と一緒に人気ドラマ「善徳女王」を見ているという気さくな緒方さんに来韓のきっかけや現在のお仕事について安東の市庁舎でお話を伺ってきました。
名前 緒方恵子(おがたけいこ)
勤務先 安東市庁観光産業課
年齢 31歳(1978年生)
出身地 熊本県
在韓暦 9年9ヶ月
経歴 北九州市立大学を卒業後、2000年3月に渡韓。韓国外国語大学語学院で韓国語を初級クラスから学んだ後、2001年8月に同大学大学院日語日文化学科入学、2003年8月に修士号を取得。2003年9月から韓国初の地方自治体の外国人契約職公務員として勤務し、安東市の広報活動などに携わり、現在6年目を迎える。
半分家出状態?!一言も韓国語が話せないままソウルへ
大学で比較文化を専攻していた時、日本語系統論という講義で日本語と韓国語の共通点など言語的な結びつきについて学び、韓国語に非常に興味を持ちました。
また北九州は八幡製鉄所があったことから戦時中に強制連行された韓国人が多く住む地域で、そうした人たちを対象にした識字教育が大学で行われており、私はボランティアで参加していました。その時にお年寄りが話して下さった韓国の話、韓国語に触れ、隣国でありながら全く知らなかった韓国に興味を持つようになりました。
当時は韓流ブームの前で、韓国語を学ぶには韓国に行くしかなく、思い切って留学に踏み切りました。アルバイトで1年間の学費と生活費を準備したものの、両親を説得しきれないまま韓国外国語大学語学院に入学しました。レベルテストでは自分の名前もハングルで書けず漢字で「緒方」とだけ書いて、テストの間、じっと座っていました。今考えても、とっても無謀ですよね(笑)。
より韓国を知るために語学から文化へ、ソウルから地方へ
韓国外国語大学
韓国語は韓国ドラマをひたすら見て、会話をノートに書き取ったり、アメリカドラマを韓国語字幕で見たり、1日5時間くらいテレビを見て勉強しました。韓国人学生と一緒に住んでいたので、遊びに出かけたり、ボランティアに参加したり、韓国人と話す機会も多く作りましたね。
そして、1年後に語学だけでなく、文化や比較言語学を勉強しようと大学院に進学し、2年で修士号を取得することができました。その時に勉強だけで終わってしまうのではなく、地方文化を学びたいと考えていたところに、安東市庁の外国人契約職員の募集を目にしました。
日韓合作ドラマ「フレンズ」(主演:ウォンビン、深田恭子)で、ウォンビンの故郷が安東という設定だったんですよ。安東についてはドラマを通して、両班(ヤンバン)の街、保守的だけど文化が残っている街というイメージがあるだけで、一度も訪ねたことがないものの応募だけでもと思っていたら、合格することができました。当時、外国人契約職は日本語、中国語、英語担当の3名が採用されました。
韓国人の「情」に励まされ、安東での生活に自信が芽生える
安東市庁舎
安東市庁が公務員として外国人を採用するのは韓国の地方自治体として初の試みでした。
私にとっても初就職であり、毎日が緊張の連続で初めは互いに距離がありましたが、仕事を通じて次第に打ち解けていきました。
ただ、日本は余裕を持って計画を立てて、物事を詰めていくのに対し、韓国は直前までエンジンがかからないという違いがあり、戸惑いました。
韓国メディアの取材も多数
姉妹都市との事業となると日本側からは1ケ月~2ケ月前になると日程が出ますが、韓国側は1~2週間前でも大丈夫という具合に感覚の差があり、日本側から「まだか、まだか」と何度も問合せがあります。よく言われるのが「日本人はせっかちでナイーヴ」。
時として、両者の板ばさみになることもあります(笑)。初の外国人公務員としてテレビなどで紹介され、道を歩いているとじっと見られたり、市役所にお年寄りが訪ねて来たりしました。
安東は独立運動家をもっとも多く輩出した土地なので、日韓の歴史について何か言われるのかと身構えましたが、昔、日本に住んでいたことや日本の友人の話、当時のくらしについてなどを、私が日本人であることに親近感を持って、ただ話をするためだけに来てくださいました。中には大邱(テグ、安東から南へ車で約1時間)から来た方もいます。
頑張ってくださいと言われ、驚きましたが本当に励まされました。安東に来て1年半を過ぎた頃に交通事故で肩を脱臼し、1ヶ月ほど腕が使えませんでした。その時、市庁の同僚が毎朝家まで来て、身の回りの世話をすべてしてくれました。
ちょうど秋夕(チュソク)でしたが、帰省の予定を繰り上げて祭祀(チェサ)の立派な料理をお裾分けしてくれたり、寂しいだろうからと外に連れ出してくれたり。
安東に来たばかりの頃、地方は少しおせっかいだと感じましたが、この時に家族のように扱ってくれる情を感じて、一人でもこの土地でならばもう少しやっていけそうだという自信が湧いてきました。
地元のラジオ番組にも出演、多岐にわたる仕事内容
日本語の印刷物をチェック中
私の仕事は市庁に関する翻訳や通訳、観光案内、日本での各種観光博覧会への出展、姉妹都市関連の業務など、広報を中心とした業務です。
副市長の通訳を務めた時に、頭の中は日本語なのに口から出てきたのが韓国語だったということがあります。副市長に「日本語で話しなさい」と止められて気付きました。長く韓国にいるせいでそうなったのか、忘れられない大失敗です。
季節ごとの話題を寄稿
2009年5月からは安東のKBSラジオに出演しています。職場の同僚である中国人の方と交替で2週間に1度、外国人からみた安東、韓国について話すという5分ほどの番組です。緊張して難しいですが、とても楽しいです。
ネタを探すのが大変ですが、結婚の風習の違いや日本でのBBクリーム人気など、身近な話題を中心にラジオを聴いた方からの反応やアドバイスを受けながらやっています。台本を見ずに自然に話すのが難しいですね。この他には読売新聞とビートル号(釜山、博多間就航)が共同で発行しているタブロイド紙に寄稿などもしています。