「水からの伝言」の著者、江本勝氏との出会い
まずは江本さんを訪ねたのですが、緊張した私が色々と話したら「水野という人間に韓国のことを任すかどうかの面接だから、聞くことだけに答えなさい」と言われ、無愛想で非常にこわかったです。ところがお会いする前に送った手紙を読んで下さっていて、私に任せるつもりだったそうです。
というのも奥様が在日韓国人で、結婚の際にはずいぶん周囲の反対にあい、2つの国の間で何か起きたらどうするのかと奥様のお兄さんに詰め寄られた時に、何があっても両国が争うようなことはさせないと言ったそうです。
そのため、日本と韓国の架け橋になりたいという私の考えを理解して下さり、昔の自分を思い出したと言って下さいました。その後「水からの伝言」は私がプロデュースをして韓国版を出版しました。翻訳版では唯一、漢江(ハンガン)の水や韓国語を見せた水など、韓国用に水の結晶写真を撮影したものを追加して再編集したんですよ。
結局、江本さんは経歴を調べもせずに、私という人間を見て仕事を任せて下さいました。だから私も本当に真摯に取り組まないといけないと感じています。本の出版後も引き続き、韓国で行われる江本さんの各種講演の通訳やサポートを行なっており、現在は仕事というよりライフワークだと思っています。
また、江本さんのドキュメンタリー番組を韓国の放送局が制作することが縁となって、制作会社である第3ビジョンのコーディネーターの仕事も始まりました。
「韓国には気をつけろ」、疑心暗鬼のビジネスを軌道にのせるまで
自宅の水槽
次に日本動物薬品を訪問しましたが「水野さん、輸出入業務の経験ある?」「いえ、ありません」とすぐに話が終わってしまいました(笑)。しかし、その後、韓国での展示会の準備と代理店を探す仕事の話を頂き、韓国での初仕事が始まりました。
準備の末、後は日本からやってくる社員を迎えるだけの段階になって、急に社員の到着が遅れることになりました。展示会で重要なのは初日の業者商談日なのに私1人です。ユーザーとして日本動物薬品の商品を使ってはいましたが、知識はありません。
しかし、これは私への試験なのかもしれないと思い、日本から送られてきたパンフレットを片っ端から読み込み、展示会当日はいかにも社員だという顔をして、商品の説明をし、商談を行ないました。
展示会をきっかけに代理店契約もでき、韓国進出の足がかりができたため、私は引き続き日本動物薬品の仕事をするようになりましたが、その時言われたのが「韓国には気をつけろ」でした。これまで韓国の会社から商品サンプルの要請があると、しばらくするとコピー商品が出回るということが何度もあり、社内では韓国のイメージは悪かったようです。
そのため取引先も数社を競争させて勝ったところと契約するという会社の方針でしたが、それはかえって韓国側から信頼を得られないとして私は反対しました。そのため現社長とは随分ぶつかりましたよ。
しかも私の言う通りに進行しておきながら、もし、韓国側に問題があれば「ほら、見たことか」と会社に言われ、韓国との取引が二度となくなってしまうので、非常に緊張しました。しかし、韓国側が想像以上の誠意で応えてくれ、初めての取引が無事に終わった時はほっとしました。
ビジネススタイルの異なる2つの国の接点を作り出すのが仕事
日本は仕事を始める前に計画を立て、失敗した時のことを考える。韓国はとにかくやってみようと、成功した時のことしか考えない。まったくスタイルが違います。その両者をつなげてビジネスをするのは本当に難しいです。
何度も板ばさみになって悩みましたし、日本動物薬品のスタッフからは「どちら側の人間なんですか?」と言われたこともあります。しかし、正確にいうと私は契約職のようなもので、正社員ではありません。そのお陰で韓国側からも色々な話を聞くことができます。
私の役割はどちらか一方ではなく、両方の立場に立った上で歩み寄れる妥協点や納得のいく合意点を見つけることです。そうすることで、お互いが少しずつ変わっていけるし、理解が進み、信頼関係が築けるのだと思います。
最近は韓国で製造して日本に輸出することも多くなりました。例えば、日本では商品シールをまっすぐ貼らなくてはだめですが「外袋は捨てるから、別にいいじゃない」と工場のおばさんたちに言われ、日本スタイルを理解してもらうのに苦労することがあります。
しかし、出来上がったものを見て「ダメ、やり直し」というのではなく、日本では見た目が重要だという話をする必要があります。すると「そういえば日本に旅行した時、菓子の包装もきれいだったわねえ」と言う人がいるので、「そうそう、だからきれいに貼ってくださいよ」なんて会話をしながら進めていきます。
苦労はあっても2つの国を結ぶことがやりたい仕事でしたし、日本の韓国への認識、韓国の日本への認識が少しずつ変わってきたなと感じます。その積み重ねで、私の仕事や人脈も広がっていきました。
空気と水を求めて、第二の故郷金堤へUターン
万頃平野。黄色く実っているのは収穫を迎える麦
私が住んでいる全羅北道金堤市には韓国で唯一地平線を望むことができると言われる万頃平野(マンギョンピョンヤ)があり、昔から米どころとして知られた土地で、現在も稲作が盛んです。特に今頃は二毛作の麦の収穫を終え田植えが始まる頃ですね。四季折々に田んぼの色が変わり大変美しく、街灯が少ないので夜は星がきれいです。韓国に戻ってきた頃は水原(スウォン)のアパートに住んでいましたが、子ども4人の6人家族では手狭だったこと、ソウルにいなくてもよい仕事を得たこと、私が昔から虫や魚が大好きで土を見ないと落ち着かないこともあり、妻の実家がたまたま空き家になっていたので、金堤に引っ越すことにしました。妻もはじめは驚きましたが、すぐに理解してくれました。
引っ越してきた当初は、妻の故郷なので周囲の人たちは私たちを好奇心の目で見ていました。日本に行ったのに戻ってきた、都会にいたのに戻ってきたことから、何かに失敗して問題がある、と考えていたようです。
いちいち説明するわけにもいかないので、私たち家族の姿を見てもらうしかないと思いました。夢だったテラスや庭を作るなど大工仕事に精を出し、子どもは5人で賑やかだし、週末には友人たちが遊びに来るし、楽しそうな私たちの様子を見て、次第に私たちが移住してきた意図を理解してもらえるようになりました。
そうなると田舎の人は親切で野菜を持ってきてくれて、お付き合いが始まり、周辺のおじいちゃんおばあちゃんには子どもの声を聞くと元気が出ると言ってもらえるようになりました。
虫や土に触れて思い切り走り回れる子ども時代を過ごさせたい
築50年の韓屋
2年ほど前に妻の実家を出て、隣の集落にあった現在のこの家を購入しました。昔から物を作るのが好きで、家も作りたくて(笑)、少しずつ補修、増改築をしているところです。また田舎は農薬を使うのが当たり前なので、自然があるようでないんですよ。
だから家の庭や畑には農薬を使わず、虫や生き物が集まってくるようにしています。子どもたちに土や生き物に触れる経験をさせたかったからです。韓国の友人からは、田舎は塾もないしどうするの?と言われますが、大人になれば都会に出て行くことになるだろうし、むしろ子ども時代に田舎暮らしを経験しておくのが大切だと考えます。
韓屋にも似合う暖炉
勇ましく番を務める
後ろの大ケヤキまで自宅の敷地
屋根裏部屋もリフォームして子ども部屋に
最近、週末には友人が家族連れでやってきて、我が家が民宿のようになってきました。仕事の都合上、ソウルを離れられない人もたくさんいるので、息抜きに使ってもらえればいいと思います。ソウルではパソコンの前から離れなかった友人の子どもが私の作業場で一日木材をいじっていたこともありました。
物質的な豊かさは必要だけど、それだけでは心が満たされない。時折、わざと電気を消してロウソクに灯をつけます。不思議なことに、自然と家族との会話が増えるんですよ。田舎暮らしは生活の質が落ちると考えている人もいますが、そうではないということを示したいという気持ちもあります。
末っ子のスアちゃんと
日韓カップルの場合、女性が日本人というケースが多いですよね。母親が普段から日本語で話しかけるようにしていると話せるお子さんも多いようですが、私の子どもは全員日本語ができません。子どもたちが自分で半分は日本人なんだと気づく時が来て、日本語を勉強しようと思った時に始めればいいと思います。
中学生の娘は同級生たちが日本のアニメや漫画に興味があるらしく、友人の影響で最近日本語を始めました。「将来はお父さんのように日本と韓国を行き来する仕事をしたい」と言うようになりました。
受け入れることは、新しい自分を発見すること
私はもともと個人主義で韓国の人たちとは分かち合えないタイプでした。プライベートに立ち入ったり、自分のものを勝手に触ったり、自分のエリアにズカズカと入って来られると、昔だったら付き合うのをやめるとか、無視するなどしていたと思います。それが韓国で暮らすうちに、まあ、いいかと思うようになりました。
それに自分は嫌だと思っていたけど、一度受け入れて見ると、実際には意外と嫌ではなかったことに気づき、その時に新しい自分も見えた感じがしました。日本では男性どうしで手をつないだりしませんが、韓国では結構ベタベタします。ありえないと思っていたけど、久しぶりに会った友人に私からやっていたりすることもありました(笑)。時間とともに感化されながら新しい自分を発見したり、ダメだと思っても試しに受け入れてみたら自分の幅が広がったということもあります。
日韓の人々が、出会い、互いに話せる場を作るのが夢
以前、日本語で話していたら、後ろにいたおじいさんに「久しぶりに日本語を話したいから、ちょっと付き合いませんか」と言われました。何か言われるのかと緊張しましたが、植民地時代は時代背景的に仕方がなかったと言うんですね。
韓国の人はすごいなと思うし、逆に責められた方が楽だったように思います。また、日本人とのよい思い出を持っていて当時が懐かしいという人にも出会いました。個人が抱えている思いは様々なんですね。日本が好きだとは表立って言えないけど、日本人は好きという人は多いですし、打ち解ければ懐に入れてくれる深さが韓国にはあると思います。
逆に日本人が嫌いという人と出会って打ち解けた時に「考え方が変わった人1人獲得!」というやりがいがあります。国どうしは難しくても一人ひとりの出会いが、いろいろなことを越えて行けるのだと思います。
私が残りの人生をかけてやりたいことは、これまでと同じですが日本と韓国の橋渡しです。日本人と韓国人は他人じゃないと思うんですよ。血統的にはほとんど同じような民族だと思っているし、古代から行き来している過去の歴史を見れば、先祖どうしが親戚だというのはありえる話だと思います。
そんな古くからの歴史の交流を知れば互いに親近感がわくだろうし、そうしたことを伝えたり、日本人と韓国人が昔の話をしたり、お互いの家族の話をしたりしながら、日韓交流ができる場を作っていきたいです。将来は本当にこの韓屋を使ってゲストハウスをやりたいと思っているんですよ。そのための土台作りを今少しずつしています。
水野さんおススメのお店
国道沿いの飾り気のない小さな食堂、しかし、食事時となるとどこからともなく人が集まる地元で評判のスンデクッ(豚の腸詰入りスープ)のお店。店の側には店名となっている大きなウネンナム(イチョウの木)が立っています。水野さんはたまにご家族で食事に来られるとか。
気さくな店主は子ども連れの水野さんご家族にいろいろとサービスしてくれるそうです。ネジャンクッ(内臓入りスープ)はコクのあるスープにたっぷりの肉とホルモンが入ったボリュームのある一品。
臭みがなく、ニラやエゴマの粉を入れるとスープの味が一層引き立ちます。付け合せのキムチなどもさすが全羅道、濃い目の味付けで深い味わいです。
「ウネンナム」
住所:全羅北道(チョルラプット)金堤(キムジェ)市 万頃邑(マンギョンウッ)万頃里(マンギョンリ)
電話:063-542-1179
インタビューを終えて・・・
無謀とも思える方法で韓国での仕事を獲得した水野さん。今ではどの分野においてもなくてはならない存在となり、着実に進んでいるように見えますが「好きなことをやらせてもらっているので、今でもいつどうなるかわからないという気持ちでいます。但し、今なら何があっても自分ができることを探してやっていける確信ができましたね」とおっしゃいます。やりたいことをやり遂げることほど、努力とエネルギーが必要であることを水野さんのこれまでのお話から感じ取ることができました。「日韓をつなぐ金堤の韓屋」が完成する日を楽しみに待ちたいと思います。
提供・韓国旅行コネスト
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