韓国に来た当初は、日本で習った教え方とかなり違ったので戸惑いました。日本で習った実習では、多国籍の学生に日本語のみで教えるためどうしても進度が遅くなりますし、比較的文法の正確性を問いますが、私が就職したこの学校では文法を正確に話させることより、コミュニケーション力を育てることを大切に考えています。
そのため、いかに学生に共感し、いかに学生から発言を引き出せるかということが重要になります。凝り固まった教師像があった私には、年齢も職業も様々な学生を前に、「学生に共感する」作業が難しかったです。
こうした経験を生かして2年前、会話の教科書をリニューアルしました。新しく赴任した教師であっても学生のニーズに応えられるよう授業レベルの安定を図るためです。韓国で日本語教師をするのであれば、できれば韓国語ができたほうがいいですね。
もちろん授業中はほとんど韓国語を使いませんが、韓国語を知っていれば学生がつまずきやすい点がわかります。文法的な内容も韓国語と同じであることがわかれば説明を省くという判断ができます。私自身も韓国語の初級だった頃と今を比べてみると、教え方が変わってきたと思います。
ルールの日本人、人間関係の韓国人
時事日本語学院は韓国企業ですが、同僚である韓国人教師は全員日本語ができる上、留学経験がある人も多く、日本文化をよくご存知の方ばかりなので100%韓国ではない環境だと思います。
習慣の違いなども日韓の違いを比較しながら教えてくれることも多いので、日本人教師が初めて韓国に来ても馴染みやすいと思います。とは言えここは韓国なので、仕事の進め方が韓国的であることに驚くこともしばしばです。
例えば上司の命令は絶対である一方で、部署を越えた人脈で仕事を依頼されたりします。日本的発想では所属先の上司にあらかじめ了承を得た上で仕事を依頼するのが通常ですが、韓国では突然、しかもすごい分量の仕事が個人宛に舞い込むことがあります。
韓国人は今回はやってあげるから次に何かあったら助けてね、という具合にギブアンドテイクでうまく進めています。しかし、組織やルールに従うことに慣れている日本人にとっては頃合を計るのが難しく、戸惑います。状況がつかめないまま、断りきれず仕事は受けたはいいけれど、どうしてよいかわからないということがありました。
日本人の先生から「仕事を急に頼まれたんですけど、やるべきでしょうか?ご存知ですか?」と問い合わせを受けることがしばしばあります。こうした文化の違いから日本スタッフと韓国スタッフがぶつかることもあるので、それを調整するのも私の役割のひとつです。
ただここは韓国なので私たちも韓国の仕事のやり方に従わなければならないこともあるし、できる範囲のことには応えていこうと日本人の先生たちに言っています。でも、上司に逆らわないのが常識の韓国で、会議ではいつも私一人だけが上司に口答えをするので注意されることはよくあります(笑)。
恒例行事として根付き始めた「日韓交流おまつり」の陰で
「日韓交流おまつり」は日韓国交正常化40周年の2005年から開催され、両国の様々な民俗芸能を紹介し、体験することができるおまつりです。時事日本語学院が東アジア文化交流協会を運営している関係から大使館経由で依頼されたことがきっかけで、2007年からおまつり事務局を運営することになり、2008年より前任者から私に引き継がれました。
会社からは仕事の合間にやってくれと言われましたが、事務局の仕事は資金の管理や諸々の手続きやイベント会社との調整など多岐に渡り、とても片手間でできるような業務内容ではありません。日本側でも開催されるようになり、おまつりの規模は大きくなりましたが、それでも事務局を含めボランティアによる手作りで行なわれています。
ボランティアの域を超えた負荷がかかり、正直なところ、なぜ私がこの仕事をしなければならないのか葛藤の連続の末、昨年のおまつりが終わった時に、ついに私のストレスが最高潮に達して運営委員会で爆発してしまったんですね。その時に、他の運営委員が事務局の難しい現実について真剣に考えてくれるようになったお陰で今年は業務を分担することができ、今年は彼らにずいぶん助けてもらいました。
しかし、おまつりそのものは7回を終えて岐路にあるのではないかと感じています。おまつりを存続させたいと思う人々の純粋な熱意の一方で、委員同士が考え方の違いからぶつかったり、業務負荷の増大やボランティアの問題などもあり、正直に言うと私自身はおまつりをやる意味や価値について自信を持ってこれだと言えるものはまだ発見できていません。
日韓交流という主旨に賛同していますが、それだけでは正直大変です。自分自身が心から楽しんで参加したいと思えるおまつりを作ることが必要です。
昨年はもうやりたくないと思いましたが、一緒にやろうと支えてくれた人たちの存在があったからこそ、今年も無事におまつりを終えることができました。学校にいるだけでは知りえなかった人たちとの出会いや新しい経験などをもたらしてくれたのはおまつりなので、今は自分のためにやっていると思います。
「人」を受け入れてくれる温かい韓国、思い切って挑戦しよう
実は東日本大震災の影響を受けて、学生数が減っています。日本留学を延期や中止にした学生が相次いだからです。韓国の報道が少し過剰気味であるように思いますが、親が心配して反対するケースが多いようです。しかし、震災のために突然起きたことではなく、かつては日本の文化が大好き、日本に憧れているという学習者が多く、日本に注がれる視線は熱かったですが、そうした雰囲気が薄れています。
今、日本をはじめとするアジアだけでなく、ヨーロッパなどでも韓流ブームが起きていますが、韓国の方が元気いっぱいで、あらゆる部分で急速に進化しているように思います。しかし、日本にはよいところがたくさんあるので、日本の魅力を再発見してもらえるように私たちが頑張らないといけないし、何ができるかを考えているところです。
日本では場の空気が読めない人を指して「あの人(態度や発言に対して)に引くね」という言い方をしますが、韓国ではそれに該当する言葉がないように思います。
私も日本にいた時は空気が読めていないと怒られた記憶もありますし、引かれないようにいつも気を使って過ごしていたのですが、韓国ではそんなことを考えることがなくなりました。
結構、豪快なことをしても温かく受け入れてくれます。韓国に来たばかりの頃はカルチャーショックを受けて嫌な部分ばかりが目につきましたが、度量の広さや温かさを本当に感じますし、気づけばそれに助けられることが多かったです。
だから、日本にいたら周囲を気にしてできなかったことも、韓国では思い切ってやってみたらよいでしょう。自分を解放できる国だと思います。
インタビューを終えて・・・
小説家になりたかった子ども時代、小学校5年生の時になんと韓国を舞台にした戦争小説を1年半かけて書き上げたそうです。「なぜ、韓国だったかは思い出せませんが、何か縁があったのだと思います」という里井さん。毎日多くの学生に接しておられますが、「様々な背景や職業を持っているすごい人たちがたくさんいますが、教える立場にあるとそれに気づきにくい。私は学生をはじめとする色々な人との出会いの中から学んだことが多いので、学校の中でも刺激を受ける機会はたくさんあるし、世界の広げ方を後輩や学生たちに伝えたいです」今後は日本語だけでなく、教育をテーマに様々なことに挑戦したいとのこと。これからも人との出会いを力にして、日本語を学ぶ楽しさだけでなく、日本の魅力を発信していただきたいと思います。
時事日本語学院
1979年に日本語専門学院として開校。日本語能力試験(JLPT)、日本留学試験(EJU)などの資格試験をはじめ、文法、会話、ビジネス会話など、多様なプログラムを用意している。ソウル市内の鍾路、新村(シンチョン)、江南(カンナム)エリアに3つのキャンパスを有し、韓国人教師と日本人教師は約180名、韓国でも有数の実績と規模を誇る語学学校。
住所:ソウル市 鍾路区(チョンノグ) 貫鉄洞(クァンチョルトン) 16-1
電話:02-737-1582
提供・韓国旅行コネスト
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