批判したり、怒ったりしている人は何がそんなに世の中に不満なのだろうか。誰かに対して怒っていれば心が満たされるのだろうか。むしろ、心が貧しくなっているような気がするけれど。
ぼんやりとTwitterを眺めていると、ずぅっと何かに怒っている人がいる。
ニュースに、ネットで有名なあの人に、誰かを批判したあの人に。なんとなく気になって、その怒りんぼのページに行くと、本当にずぅっと怒っていた。こんなに怒っていて疲れないのかな、と思いながらページを閉じて、その人にはもう近づかないようにする。
「怒る」ってしんどいことだ。ずっと怒り続けるのってきっとすごくパワフルな人なんだろう。
■何に対してそんなに文句が言いたいのだろう
ニュース番組を見てずっと文句を言ったり怒っている人がたまにいる。
本人は文句ではなく、批判のつもりらしい。
ただ自分の苦情を述べているのではなく、評価と判定をしているということのようだ。
たとえば、不倫のニュースを見れば「こんな話題ばかり取り上げてないで、他に報道するべきことはいくらでもあるだろう」と言い、殺人事件のニュースを見れば、「こいつのような犯罪者を作った社会が悪い」。
自分は人と違うんだ、というところを見せようとして、逆に的外れなことを言っていることもある。ときには「自分だったらこんなことしないのに」と政治家の行動を例に挙げて、講釈を垂れたりもする。ならば今すぐ政治家になって実行してほしい。有言実行は大切なことだ。
本人は好き勝手なことを話して満足げだけれど、聞かされているほうとしてはたまったもんじゃない。なので「どうしてそんなことばかり言うの?」と尋ねた。答えはこうだ。
「お前は何もわかっていないから、自分が教えてやっているんだ」
なるほど。
■意見を述べるのは悪いことじゃない
批判するのは悪いことじゃないと思う。
自分の意見を述べるのも良いことだ。人目を気にして言いたいことを我慢しているよりはずっといいかもしれない。しかし、それが「○○のためだ!」という正義感を振りかざしているようなら、少し違和感を覚える。
純粋な批判だけだったらいいのだけれど、そこに「自分はよくわかっているだろう」「こんなことをする奴らが阿呆なのだ」というニュアンスを含んでいると、思わず耳を塞ぎたくなる。
世間を見下し、自分は特別だ、賢いのだと見せつけたいのだとしたら興ざめだ。
誰に見せつけたいのか? それはもちろん自分を取り巻く人々に。
「すごい、そんなことを考えているんだね」
そう言われてのけぞりたいのかなあ、などと考えてみる。でも、冷静になって周りを見回してみたら、誰も自分のことを褒め称えてはいない可能性だってある。
■誰でも語れる時代に気をつけたいこと
どんな人間でも、世界中とまでは行かなくても日本中に自分の意見を述べることができる。その意見に寄せられる反論も同意も発した側からすれば心地よいものだ。
悪口を言ったり、批判をするほうが、人々は反応しやすい。
例えば、超人気アイドルグループを批判すれば、ファンは少なからず反論するだろう。
しかし、ずっと批判している人には魅力を感じないのではないだろうか。
粗探しばかりしていてかわいそうな人、だと私は思う。
少しでも何か、誰かを褒めるだけで印象は変わる。
批判されて、反論する場合でも同じだ。
批判している人の欠点を見つけ出し文句を言うことが解決につながるとは思えない。ファン側として、例えばそのアイドルの良いところをプレゼンする、プレゼンした上で批判していた人さえもファンにさせる、ぐらいの気構えがあっても良いのではと思う。
気がつけば、批判、文句ばかり言っている人は、一度深呼吸をして物事を違う視点から見てはどうだろうか。たぶん、思っているほどのこの世は悪い場所ではないはずだ。
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