韓国の国旗、太極旗(テグッキ)。日本の日の丸と同じく、シンプルなデザインの太極旗。しかし、そのシンプルさの中に、奥深い意味が込められているのです。円の周囲に配されたあの黒い太線は一体何を意味するのか、三本の線が長かったり短かったり、気になりませんか?
今回は太極旗の意味や歴史などを中心に秘密を探ってみたいと思います。
太極旗の構成
太極旗は、古代中国の占いである易の概念を図式化した「先天八卦図」をパターンにしています。「先天八卦図」は太極をこの世の全ての根元、宇宙と見なすもので、両義(陰陽)、四象、八卦という森羅万象を形作る要素に分けられるとしています。言い換えればこれらの要素が集まって太極=宇宙を形作るという考え方です。ところで、みなさんもよく「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という言葉を耳にするかと思いますが、八卦とは易の中で自然界の現象を八つの象に分類したもので基本の図像のこと。卦爻(けこう)と呼ばれる二種類の棒の組み合わせからなっていて、いろいろな意味をあらわします。
太極旗は白地に中央にある円が太極を、中の青と赤の2色は陰陽を表し、そのまわりに八卦のうち乾・坤・離・坎(けん・こん・り・かん)の四卦を配置したデザインとなっています。乾は天、坤は地、離は火、坎は水を象徴し、中央の「太極」を中心にして対立的な要素で向き合うように配置され、無窮の精神・光あふれる光明の精神、そして創造と繁栄を祈る韓民族のイメージを表しています。
「先天八卦図」と現在の太極旗では陰陽や卦の位置が異なり、太極旗の
太極旗の歴史
韓国の国旗は、1882年5月22日に採決されたアメリカとの朝美修好通商条約の調印式のために、朴応俊(パク・ウンジュン、1832~?)という通訳官が作ったと言われています。残念ながらその時の太極旗がどんなデザインだったのかは、現在正確な記録は残っていません。その後1882年9月、朴泳孝(パク・ヨンヒョ、1861~1939)という政治家が高宗(朝鮮王朝第26代王、コジョン)の命を受けて遣日使節団員の一人として日本に向かう船上で、太極旗のデザインを考案したとされています。その時のデザインは太極の模様の周りに八卦を配置したものでしたが、船に同乗していたイギリスのある高官から「複雑すぎるので4つに減らしたほうがいい」とアドバイスを受けたので、現在の四卦(乾坤離坎)になったというエピソードがあります。しかし一方で、2004年にアメリカで発見された『海上国家の旗』(米海軍省航海局)という資料には、すでに「太極・四卦」のデザインが収録されており、朴泳孝デザインよりも2ヶ月早い1882年7月に発行されています。それゆえ「太極・四卦」のデザインの正確な考案者、時期については分かっていないのが実情です。
1883年3月6日に高宗が正式に「太極・四卦」の太極旗を国旗として制定・公布しましたが、国旗の正式な形を定める法律は特になかったため、図の配置などが統一されず、陰陽や四卦の位置は旗によってバラバラでした。
韓国に現存する最古の国旗、デニー国旗
写真提供:国立中央博物館 韓国には文化財に登録されている太極旗が15点あります。そのうちの一つである「デニー国旗」と呼ばれる太極旗は、高宗が、1890年当時朝鮮政府の外交顧問だったアメリカ人オーウェン・ニッカーソン・デニーに下賜したと言われるもので、デニーの子孫が1981年に韓国に寄付しました。四卦が黒ではなく青色、陰陽の形も現在とは違っています。デニー国旗は龍山(ヨンサン)にある国立中央博物館で見ることができます。
1919年に上海に置かれた大韓民国臨時政府は、1942年6月29日に国旗制作法の草案的な「国旗統一様式」を制定しますが、あまり知られることがありませんでした。そして1948年8月15日、大韓民国政府が樹立され、その翌年現在の太極旗が正式に韓国の国旗として使用されるようになりました。
太極旗を掲揚する日
国慶節・記念日 | |
3月1日: 三一節(サミルチョル) | 7月17日: 制憲節(チェホンジョル) |
8月15日: 光復節(クァンボッチョル) | 10月1日: 国軍の日 |
10月3日: 開天節(ケチョンジョル) | 10月9日: ハングルの日 |
弔意の日(半旗) ※半旗とは標準の高さの二分の一の高さで掲揚すること | |
6月6日: 顕忠日(ヒョンチュンイル) | 国葬の期間 |