気取った服を着なくてもなじむ、が韓屋の味

第66回~米田沙知子さん (guga都市建築)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

ほっとくつろげるヌマル
実は、私が担当した物件は「guga」事務所のすぐお隣です。ご挨拶をしたり食事に呼んでいただいたりと、完成後も懇意にさせてもらっています。設計者として特に気に入っているのは台所。

リノベーション物件では、柱など利用できる部分は活かし、かつ現代の暮らしに合うように再構成されますが、こちらでも土間のような場所にあった台所を位置やシステム面で作りかえました。

私も所長とともにオーナーにヒアリングを行ないながら、オーナー家族に合わせた動線を描きました。また渡り廊下の一角に「ヌマル」という板敷きの空間を置いたのもポイントです。窓からはマダンが見渡せ、陽もよくあたる、家族のくつろぎの場です。

以前、依頼主がパジャマ姿のままマダンで子供と遊んでいる写真を見て、とてもいいなと感じました。マダンのように気取った服を着る必要のない自分たちだけのささやかな外部空間があること、それも韓屋の良さの一つだと思います。

第66回~米田沙知子さん (guga都市建築)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)
第66回~米田沙知子さん (guga都市建築)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

特注した部材も多い

第66回~米田沙知子さん (guga都市建築)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

新しい息が吹き込まれた台所

歩いて描いて…路地から捉える調査

現在は、建築よりも調査研究を主な業務としています。メインとなるのは「水曜踏査」といわれる徒歩調査で、チョ所長が2000年に始めた「guga」の研究の特徴です。3~5人でチームを編成、路地を歩きながら韓屋などの建物や路地の現況を写真撮影したり機械で実測し、結果をCAD(製図ソフト)や手書きで立面していきます。

第66回~米田沙知子さん (guga都市建築)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

韓国の、特に昔ながらの界隈は、町のつくりが日本とは全く異なります。日本では昔からある長屋の場合も道を整備してから家が建てられますが、韓国では人が暮らしはじめることで段階的に町ができているようで、曲がりくねった路地が多くあります。

またそんな路地に欠かせないのが都市韓屋。韓屋は通常、舍廊房(サランバン:主人の居間と客間を兼ねた部屋)、アンバン(主に主婦が生活する部屋)など機能別の部屋に分かれます。
でも都市では限られた空間で家がつくられるので、一軒ごと個性のある形になります。同時にあるエリアではどの家も南側に入口がとられるなど規則性が見えるのも面白い点です。大雨でも降らない限り暑い日も寒い日も関係なく毎週1回必ず調査に出かけており、記録するのは大変ですが、一見些細に見える人々の生活から面白い発見があり、いつも楽しいです。

私も韓屋の現場にいたときを除き、継続して参加しています。分析結果は建築に利用できますし、調査で見つけた韓屋が実際に「guga」の改修物件につながったりと、調査が建築の業務と結びつくこともあります。
ソウルのマイナーエリア、ここがおすすめ

第66回~米田沙知子さん (guga都市建築)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

これまで多くの街を見てきましたが、ソウルの中で特に好きな風景は梨泰院(イテウォン)駅の南側、韓国イスラム教ソウル中央聖院やトケビ市場のある一帯。丘に密着するように庶民の家がずらっと並んでおり、夜は教会の十字架が光っていて、見るたびに韓国らしいなと感じます。

基本的にはマイナーエリアが好きですが(笑)、観光客も比較的行きやすいところでおすすめは、鍾路三街(チョンノサムガ)の世運(セウン)商店街から始まる一帯です。古い建物が南北に忠武路駅まで続いており、両脇に町工場や小さな食堂、ホテルまで連なっているので、歩いてみると面白い発見があるかもしれません。

最近はソウル歴史博物館から依頼があり共同研究もしており、現在は中渓本洞(チュンゲボンドン)にあるペッサ(104)マウルという界隈の研究を行なっています。ここは「ソウル最後のタルトンネ」と呼ばれ、1960年代の都心開発の際に南大門(ナンデムン)、清渓川(チョンゲチョン)周辺等から移住させられた人々が暮らしています。

興味深いのは、住民自らが家を作っているので一つずつ形が違うところです。山の中腹にあるため小川が流れていたり、行き止まりかと思うと道が続いたりと路地も多様で、没頭して調査を続けています。

進む再開発「数カ月前に歩いた路地が消えることも」

第66回~米田沙知子さん (guga都市建築)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

再開発が進むソウル
ペッサマウルもそうですが、調査をしながら必ずぶち当たるのが再開発の問題です。

もとの路地が全部潰され新しい街がつくられることも多く、数カ月前に歩いた地域が一瞬にして更地になっていたときは、心が痛みました。

また再開発の話が出た地域の特徴として、家の修繕をしなくなることがいえます。西村でもかつて再開発が議論されたときに韓屋の管理が止まり、現在は改修するのにも一苦労な状態です。
もちろん、整った環境を望む住民もいます。私も調査をしながら「なぜわざわざこんな場所を調査するんだ」と何度怒られたか分かりません。ただし再開発になったところで、僅かなお金で出ていかなければならない人々も少なくないといわれ、都市の問題は複雑です。
自分たちにできることを常に考えたい
現在「guga」ではソウル市から支援金を得て、暮らしのあり方を考えるプロジェクトを行なっています。また2010年ベネチアビエンナーレでチョ所長が韓国館を設計した際、再開発で廃材になった韓屋の柱を展示材料に使ったりもしました。そうした活動はまだ少ないためか、最近は色々な方面から声がかかっています。

意見は様々ですが、私は韓国でこれまで作られてきた文化がもう少し大事にされたら、さらにいい都市がつくれるのではと思います。調査では実測だけでなく住民の方々へのインタビューも行ないますが、特にお年寄りの方からの話は胸が痛みます。

日本の支配や朝鮮戦争を経て、一から生活を築いてきたところをまた開発で移動しなければならない。今は調査をし、それらを記録していくだけでも精一杯ですが、都市の生活を巡って自分たちにできることはなんだろうと、常に考えていきたいです。

落ち着いて、ほっとできるような空間を

第66回~米田沙知子さん (guga都市建築)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

「guga」のような仕事が行なえる事務所はほとんどありません。私は今の仕事が大好きです。韓国語はほとんど生活をしながら覚えましたが、最近は週1回、韓国語教室に通い始めました。

語学をのばし、人々のインタビューを聞いたり、報告書を書いたりということにもさらに意欲的に取りくみたいと思っています。「guga」の調査研究を出版する話が出ており、来年まではその仕事に注力するつもりです。

研究を続けるか、建築を学ぶか。まだまだ将来はわかりませんが、核にあるのは人が生きたいという根本的な思いと空間とのつながりを学び続けたいという気持ちです。

そしていつかは日本でも韓屋のもつ本質的な良さが味わえるような住宅をつくってみたいです。マダンがあってヌマルがあって…そんなふうに人々が落ち着いて、ほっとできるような空間が理想ですね。

インタビューを終えて・・・

明るく快活な口調で、自分の好きなこと、楽しいと思うことを率直に語る米田さんに思わず惹きつけられた今回のインタビュー。「仕事が忙しく、休日はほとんど寝ています(笑)」としながらも、やりがいを感じたことは?の質問に「今の事務所に巡りあえたこと」ときっぱりと答える姿には、自分の道をいきいきと進む力強さが感じられました。米田さんの思いと理想の空間が実現する日を、今から楽しみにしています。
※一部写真提供:「guga 都市建築」

guga都市建築

建築家チョ・ジョングを代表に、「建築設計事務所」兼「都市建築研究集団」として2000年に設立。都市の中に暮らす人々の多様な生き方を盛りこんだ「生きている建築」を追求。韓屋建築やリノベーションを主とする建築設計、都市・建築環境の調査、講義およびstudio運営の3つの業務分野で活動をしている。
住所:ソウル市 鍾路区(チョンノグ) 嘉会洞(カフェドン) 16-3
電話:02-3789-3372


提供・韓国旅行コネスト

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