細い路地の中に伝統建築の韓屋(ハノッ)が潜む北村(プッチョン)や西村(ソチョン)は、旅行客にも人気。韓屋を現代風に改築した住居や商業施設も多く、「古さをいかした新たな価値づくり」の動きが受け入れられはじめています。韓国の都市と韓屋に魅了され、自らがその現場に立つのが米田沙知子さん。韓国に訪れて5年、韓屋建築とソウルの都市調査を行なうユニークな建築事務所に勤めながら、昨年は日本の大学院で修士論文を提出しました。若く情熱溢れる米田さんのお話を、北村韓屋マウルにたつ事務所で伺いました。
名前 米田沙知子(よねだ さちこ)
勤務先 guga都市建築 研究チーム長
年齢 30歳(1982年生)
出身地 兵庫県三木市
在韓歴 5年
経歴 大阪市立大学大学院工学研究科博士前期課程修了。2007年より「guga(グガ)都市建築」にインターン勤務、2008年より正社員として入社。自ら設計を担当した韓屋のリノベーション家屋が2012年3月に施工。現在は都市・建築分野研究部門の研究チーム長を務める。
就職に悩んだ学生時代。初めてのソウルへ
もともと建築には関心があり、大学では都市建築といって人間の暮らしに関わる土地のあり方や、建築史を勉強していました。ただ建築専攻の就職先といえばゼネコンやハウスメーカーなど、新しいものを設計したり大きな建物をつくったりするのが主です。就職活動では自分のやりたいこととの違いに悩んでいました。そんな修士課程在学中の2006年に研究室の調査旅行で初めて行ったソウルで、現在勤める建築事務所「guga 都市建築」のチョ・ジョング所長に出会ったのです。
韓屋の研究と設計「私もこんな仕事がしたい!」
初めてのソウル訪問時に訪れた西村
チョ所長は「人々の生活に近い、日常の建築」をテーマに、2000年に自ら設立した「guga」を通じて韓屋リノベーションなどの建築設計とソウルの都市調査、それに関わるセミナー等を続けています。
私の指導教授の友人だった所長がご自身の設計したレストランに案内してくれた際、伝統の韓屋が現代の暮らしに合わせて上手く活用され、人々が安らげる空間となっているのに感動しました。
また北村や西村などでは日本とは異なる韓国らしい路地の様子に驚き、そこにある韓屋にも興味をもちました。調査と設計とが一つの仕事としてつながった「guga」のような環境は「こんなことができるんだ!」と、とても魅力的に映りました。
親を説得して大学院を休学、半年間バイトを掛け持ちした資金で2007年に再び韓国に行きました。3カ月だけ語学堂に通った段階でチョ所長に都市調査への参加を申し出ると、めちゃくちゃな韓国語でしたが熱意で受け入れてもらえました。
そのまま運よくインターンも始め、さらに2008年の1月からは正式に社員として採用されました。ちょうど同時期に「guga」とプロジェクトをしていた韓国の文化財庁からビザの推薦状がもらえたためです。就労ビザ取得はなかなか難しい中、私は本当にタイミングが良かったと思います。
「guga 都市建築」は現在社員が20人、インターンが3人ほどいますが、ほとんどは建築を勉強してきたメンバーで、所長含め2人が建築士の資格をもっています。私は韓屋建築の方にも携わりながら、研究チーム長として調査を主に担当しています。
自分たちの文化を見直す…韓屋の利用が増加
韓国では住居や商用施設への韓屋の改修や、韓屋の空間理念を生かした建築が近年増加しており、自分たちの文化を見直そうという社会の動きがあるように感じます。建築主も40代の夫婦や独身女性など若い層が意外と多く、マダン(庭)のある家に暮らしたいと、マンションを出て韓屋に移り住むケースが少なくありません。
またソウル市を初めとする自治体では、一定の審査を経ると韓屋建築に助成金が支給されます。そんな支援も韓屋の利用が増える一因となっているようです。「guga」も建築分野では韓屋に関わる設計が多いところに特徴があり、以前にたてられた韓屋を改修するリノベーションが主要案件となります。
ほかにも韓屋型ホテルのような新築物件、韓屋の空間理念を生かした現代住宅の設計、文化空間を作る村おこしのようなプロジェクトが進んでいます。
所長がてがけた韓屋レストラン「ヌリ」
内部にある中庭(マダン)が
韓屋の特徴のひとつ
韓屋旅館「翠雲亭」も「guga」の建築
全て一からの現場で「何度も泣きそうに」
自ら改修した韓屋の前で
私自身も一度、韓屋リノベーションの現場に携わりました。築71年の韓屋を子連れのご家族の住居に改築するもので、2012年3月に完成しました。
「guga」では基本的に設計者が全体の責任をもつため、設計から建築現場までつきっきりで管理しました。韓国はもちろん日本でも現場の経験がなかったためわからないことが多く、何度泣きそうになったかわかりません(笑)。
建築は古宮の改修を行なってきた、日本でいう「宮大工」のような方々が携わります。日本の支配時代の名残か「アシバ(足場)」や「シマイ(終い)」など日本語由来の用語が飛び交っていました。難しかったのは部材が見つからなかったことです。
伝統家屋の場合、製作元が複雑に分かれていたり、現代の建築には使われない材料も多いのです。もちろん商品パンフレットもなく、電話で調べて製作所に出向いて…と、地道に探すしかありませんでした。
逆に面白かったのは瓦の作り方。材料を丸めたものを屋根に投げ、一つずつ手作業で埋めていきます。時には職人に交じって屋根の上でマッコリを飲んだり(笑)、大工仕事の工程を一から見ることができたのは、とても貴重な経験になりました。