大河ドラマ真田丸でも描かれた小田原合戦。小田原城の北条氏を攻めるために大坂から出陣した豊臣秀吉は、小田原を見渡せるこの山に城を築きました。関東で最初といわれる総石垣の城であり、現在は国指定史跡の歴史公園となっています。公園では戦国時代当時の石垣を見ることができ、眺望もよく、芝生で整備されているので散策にもおすすめです。今回はこの石垣山一夜城歴史公園をご紹介します。
石垣山一夜城の歴史
地名の由来
この山は元々「笠懸山」と呼ばれていました。そこへ小田原城を攻めるために大坂から攻め上った豊臣秀吉が、この地へ石垣の城を築きます。石垣山という呼び名はこの秀吉の築城の時からです。
「一夜城」という名もこの時からの名になります。実際の城の建築は80日ほどかけられているのですが、建築中の様子を敵に知られないために木で隠し、完成した時にその木を一斉に落として姿を表したため、一夜で城が出来たと敵の北条方を驚かせたという逸話によるものです。
戦国時代から現在までの一夜城
この城は、それまで盛り土や木で作られることが多かった関東で最初の総石垣の城とされています。立派な石垣と複数の曲輪で構成された、本格的な城でした。
小田原合戦以後は廃城しますが、その後の江戸時代には藩によって土地が管理され、近代以降も建築物が建たなかったために、秀吉が城を建てた当時の曲輪跡は残ります。石垣は、関東大震災や江戸時代に何度か起きた地震により、大部分が崩壊してしまいました。
1959年(昭和34年)、その歴史的な意義や残った遺跡の学術的な価値が認められ、史跡石垣山として国指定史跡となります。
歴史公園入口付近の見どころポイント
江戸城の石垣用石材
公園入口のそばに、江戸時代初期の江戸城修築のためにこの近くで加工された石垣用石材が展示されています。城に興味がある方はぜひチェックして、一夜城の石と比較してみて下さい。
本丸東口門跡へと続く昔の城道
公園入り口の階段を登って進むと、正面に大きな石が転がる道が現れます。こちらは昔の城道の1つで本丸東口門へ向かう道です。荒れた道を避けたい方は、向かって右の整備された道を進まれるとよいでしょう。