韓国プロサッカーリーグ「Kリーグ」きっての人気クラブで、首都ソウルを本拠地とするFCソウル。2012年Kリーグ優勝、2013年アジア・チャンピオンズ・リーグ(以下ACL)では準優勝を果たした強豪チームにおいて、唯一の日本人コーチとして活躍されているのが菅野淳さんです。日本で長年プロサッカー選手の指導に携わってきた菅野さんが、言語も慣習も異なる韓国人選手たちの間で何を感じ、どのように向き合っているのか。ソウル東部、京畿道(キョンギド)九里(クリ)市にあるFCソウル練習場「GSチャンピオンズパーク」で伺いました。
名前 菅野淳(かんの あつし)
職業 FCソウル フィジカルコーチ
年齢 48歳(1965年)
出身地 山形県
在韓歴 2年10カ月
経歴 筑波大学大学院卒業後、1992年ヤマハ発動機サッカー部(現ジュビロ磐田)コンディショニングコーチに就任。ジュビロ磐田フィジカルコーチ(1994年~2003年・2006年)、U-23アテネオリンピック日本代表フィジカルコーチ(2004年)、ヴィッセル神戸フィジカルコーチ(2007年~2010年)等を経て、2011年1月より現職。
選手と監督をつなぐ、チームの潤滑剤
サッカーは長時間動き続けるスポーツであるため、選手にとってフィジカル(体力)的な能力は不可欠です。プロ選手とはいえ個人差があったり、ポジションによっても必要な能力が異なるため、専門的なトレーニングメニューを作成し、選手が90分間の試合を最後まで戦い抜くことができるよう指導・管理に当たるのがフィジカルコーチです。
また、選手の指導もさることながら、選手交代のタイミングをアドバイスするなど監督がイメージするサッカーができるようサポートするのも重要な役割です。監督の意向とコーチの考え方にギャップがあってはならないため、監督とは常にコミュニケーションを図りながら意見をすり合わせています。FCソウルのチェ・ヨンス現監督は、日本で長年選手として活躍していたので日本語も流暢で、意志疎通の面では全く問題ありません。
GSチャンピオンズパーク。背後はクラブハウス
ウォーミングアップの様子
将来を決めた、科学的トレーニングとの出会い
フィジカルコーチを目指したきっかけは、教育学部で教師を目指しながらサッカー部で活動していた大学時代まで遡ります。地元の山形は、毎年冬になると降雪でトレーニングができないため、筑波大学(茨城県)で約1カ月間合宿をするのが恒例となっており、当時在学中だった中山くん(中山雅史)や井原くん(井原正巳)など日本代表に入るような選手がいたチームと試合をする機会もたくさんありました。
しかし、まったく勝てない。そこで、彼らは一体どんなトレーニングをしているのか気になり調べてみたら、運動科学分野で有名な教授のもと、様々な測定データなどを基に身体パフォーマンスを高めていく科学的なトレーニングプログラムを行なっていたのです。驚くと同時に興味をひかれ、当時コーチ学の先駆けでもあった筑波大学大学院に進みました。
コーチ学は今ではたくさんの大学で学ぶことができますが、当時はまだ学問分野として発展途上の段階。それまで「根性」や「鍛錬」という言葉に置き換えられていたトレーニングの効果が科学的に証明されたり、コーチを目指す人はメンタルトレーニングや運動生理学、運動心理学といった理論も学ぶべきだという考えが浸透し始めた頃で、私もトレーニングによる体の変化などを多角的に研究しました。
Jリーグが始まったのは、修了が近づき「地元で教師にならねば…」と考えていた頃でした。タイミング良くJリーグのクラブの1つであるヤマハ発動機(現ジュビロ磐田)から誘っていただき、フィジカルコーチとしてのキャリアが始まりました。
韓国でも高まるフィジカルコーチの存在感
フィジカルトレーニングの概念が生まれたブラジルやヨーロッパではフィジカルコーチの歴史も長いですが、日本ではJリーグが開幕した1993年頃から導入され始めました。
韓国でも近年、フィジカルコーチを置くケースが増えています。現在、韓国代表チームのフィジカルコーチを池田誠剛さんが務めるほか、Kリーグ全体では約半数のクラブでフィジカルコーチを導入しており、外国人コーチは日本人が私を含め3名、ブラジル人が3名います。
試合前に身体をほぐす日本代表チーム
(2010年撮影)
そうした背景には、かつて日本でプレーした韓国人が母国で監督を務めるようになってきたことがあります。選手時代に日本で経験したフィジカルトレーニングの重要性を認識し、積極的に取り入れようとする機運が高まっているのです。
私はFCソウルで2011年1月より指導に当たっていますが、きっかけは当時のファンボ・グァン元監督が日本人のフィジカルコーチを探していたことでした。
ファンボ元監督は大分トリニータというJリーグのチームで選手および監督を務めていた方で、日本の優れたコーチングシステムを韓国にも導入したいと考えていました。私も一度は外国で指導してみたいという夢があり、また所属チームの契約も満了するタイミングだったので、二つ返事で引き受け韓国に来ました。