Facebook、Twitter、LINE、Instagram……いまやSNS全盛時代。いつでもどこでも、まわりの人生を気にして、あなたの人生を投稿できます。スマホを手に、誰も彼もSNSに没頭中。あなたもスマホをつけるたびにチェックしていませんか? やめられない気持ちもわかります。でも、それって、どうなんでしょう?

■「いいね!」を気にするだけの人生なんて。

わたしは「SNS疲れ」といいながらもスマホを手放せない。
(画像=『DRESS』より引用)

現代は、まちがいなくSNS全盛時代です。

・息をするようにスマホをみてしまう
・友達といてもトイレにいくときに我慢できずスマホをもちこむ
・日頃の愚痴をTwitterにのせるのが日課
・つぶやいたあとは頻繁に「お気に入り」や「リツイート」を気にする
・お洒落なランチはFacebookにのせてしまう
・とにかく写真をとる
・他人のタイムラインを全部みてしまう
・週末はインスタ映えを気にしたスポットにでかける
・とにかくLINEの通知が気になる

昨日も今日も、大勢の人間が、スマホをチェックしています。それどころかSNSのために人生のかけがえのない時間を費やしています。

もはや私たちは「いいね!」のために生きているといっても過言ではありません(それは過言かもしれません)。いまや私たちはSNSで報告するために遠出して、気のきいたスイーツを注文して、顔の角度を研究して、投稿する時間まで気にしているのです。

それもこれも「いいね!」が欲しいからです。とにかく「いいね!」が欲しいのです。どうあっても「いいね!」が欲しいのです。まわりに「私はこんな素敵な生活をしてるんだぞ!」と知らしめてやりたいのです。反応があると気持ちいいから。ついスマホを手にとってしまうのです。

でも、そういうのって、そろそろ寒くないですか?

まさに“SNS疲れ”という言葉もありました。そして「疲れた」といいながらもスマホを手放せない私たち。いま一度考えてみましょう。あなたの人生は――毎日は――SNSで本当に張り合いのあるものになっていますか? 遠い他人からの「いいね!」に、心の底から充実感をおぼえていますか?

SNSが生まれて10年ちょっと――まわりをどうみまわしても答えは「NO」です。

■なぜSNSに投稿しても、こんなに心がさびしいんだろう?

わたしは「SNS疲れ」といいながらもスマホを手放せない。
(画像=『DRESS』より引用)

本来、SNSはコミュニケーションを補助するためのツールでした。遠くの友人の近況を知って、ちょっとした報告もできて。生活のなかに、他者との“ぬくもり”を生みだす画期的発明のはずでした。

しかし、SNSが生み出したものはスマホから離れられない人間の群れでした。

あなたも電車で、ふと顔をあげると、前のシートの一列全員がスマホをみつめていたのに出くわしたことがあるでしょう。そのとき、あなたの手にもスマホがあったかもしれません。

「なんか疲れるけど、つい携帯を触ってしまう」
「気がついたらスマホを手にしてる」
「癖になってるの」
「他にやることもないし……」

私たちは、いまや、その刺激から離れられないでいます。なんとなくキモチイイから逃げられないのです。語弊を恐れずにいえば、ある種の薬物中毒患者のように。

その影響は、いまや生活のなかに浸食しています。

例えば、旅行にいくとしましょう。そこで素敵なものをみつけたときに「ああ、いいなあ」と感動するのは自然なことです。身近な人に共有したくなるのもわかります。

けれど速攻でスマホを取りだして「さっそくSNSにアップしよう! いいねがもらえそう!」という発想に及ぶのは、ちょっと異常ではありませんか? さらにSNSにアップするためにすすんで旅行をしようというのは――本末転倒です。

もし、それで本当に幸せならいいでしょう。文句をいう権利はありません。

けれど、みんな辛そうなのです。ゆったりもできず、いつでもSNSの反応を気にして――みえない敵と戦っているようにみえます。それでも疲れた顔でスマホをにらむのです。

これは投稿する側だけでなく、つい他人の投稿をのぞいてしまうのも同様です。

なぜ、こうも私たちはSNSで満たされないのでしょう? それなのにスマホをチェックし続けるのでしょう? そして投稿を気にしながら、心の内には、いつまでもさびしい風が吹いているのでしょう? この瞬間も「いいね!」が欲しくてたまらないのでしょう? 

■素敵なライフスタイルなんて幻想だ。SNSにしか存在しない。

わたしは「SNS疲れ」といいながらもスマホを手放せない。
(画像=『DRESS』より引用)

その原因のひとつに「まわりが素敵な生活をしてるようにみえる問題(まわりの人生が気になってしまう問題)」があります。

私も、タイムラインをスクロールしては「いいなあ」「こんな奴のくせに……」「うらやましい」「自慢しやがって」と、にこにこぷんぷん、一喜一憂していました。

だからこそ、ますますスマホを手放せなくなるのです。他人の人生と比べて、自分の人生がまるでイケてないものに感じるのです。

しかし、案外、みんなも灰色の毎日を送っています。大丈夫です。

それは自分や、まわりをみればわかることです。素敵なライフスタイルなんて“幻想”です。どこにも存在しない。いや、SNSのタイムラインにしか存在しない。

みんな日常のなかで”精一杯飾りたてたそれっぽいもの”を報告しているだけです。

その数々をつなぎ合わせて、私たちは、巨大な貼り絵のように“素敵なライフスタイル”のイメージを作り上げているだけなのです。共同幻想。みんなでみている夢にすぎません。

つまり、これは脱出ゲームなのです。

気づいた人間から、こっそり抜けることができます。

いわゆる”素敵なライフスタイル”なんて存在しないと気づくこと。それを追いかけるむなしさを知ること――不可能なのですから。

それに気づいた人間から脱出できます。そしてSNSには、永遠に”素敵なライフスタイル”があふれます。幻想は存在し続けるというわけです。

だから、そろそろ、自慢話大会に酔っている人間なんかほうっておきましょう。ありもしない百点満点の人生を追いかけて、自分の時間を無駄にするのはやめにしましょう。ゲームに勝つとは、ゲームを去ることなのですから。

■「他人に報告するために生きているわけでない」と気づいた。

わたしは「SNS疲れ」といいながらもスマホを手放せない。
(画像=『DRESS』より引用)

私もスマホをにぎりしめてSNSばかり気にしているときがありました。

時間さえあれば他人のタイムラインを追って(なぜか比べて嫉妬するわけです)みて、なにかあればタイムラインに掲載して(こうして他人を嫉妬させるわけです)いました。

しかし、あるとき気づきました。

「いくら他人の人生をながめても自分の人生は動かない」
「わたしは他人に報告するために生きているわけでない」

これは、どう考えても真実でした。

自分は、自分の人生をよくするために生きているのです。そのはずなのです。だとすれば他人の人生に、ため息したり、まわりにアピールしている暇などないと思いました。

美しい景色をみても「いいなあ」と感じればそれでいいじゃないか。海外旅行をしても、自分が楽しければいいじゃないか。それを遠い他人にまで報告してなんになるんだろう。

少なくとも、それで得たものに価値はない――むしろ自分の価値を下げている?

それ以来、急にSNS熱は冷めました。

それどころか、正直、スマホが気持ち悪く感じました。いまも、あまり触りたくありません。スマホが嫌なのでありません。スマホを触っている自分が嫌なのです。カッコよく思えないのです。

もちろん現代において携帯電話なしに生きることはできません。仕事や人間関係がありますから。それでも触る時間を減らしたい――あまり気にしないで生きていきたい――とは思っています。

SNSを気にしている時間は「自分の人生の時間でない」気がするのです。どうしても。自分の人生の時間は、やっぱり自分のために使いたいのです。

最近では、あえてスマホをおいて外出したりします。

実に心が軽くなります。それで喫茶店に行くだけでも、なんだか自分の時間をとりもどせた気がしてうれしくなります。目の前の世界も「ひさしぶりの現実!」という感じがします。SNSで精神を減らすかわりに、いろんなことを考えて「がんばらなあかんなあ」と思えます。

大丈夫です。私たちは数時間や半日スマホがなくても死にませんから——おどろくべきことに、ちょっと前は、それが普通だったのですよ? 心からオススメです。

私たちの人生は、電子画面の奥にはありません。そこから顔をあげたところにあります。

■「わたしでなくては投稿できないもの」を探そうと思う。

わたしは「SNS疲れ」といいながらもスマホを手放せない。
(画像=『DRESS』より引用)

さんざんディスったあとでいいますけれど、私は、SNSを全否定しているのでありません。

いまもスマホやSNSは人生を豊かにするツールだと信じています。ただ「気をつけないとSNSに人生を喰われていませんか?」という問題提起をしたかったのです。便利ということは、それだけ人の心につけこめるということですから。

私たちはスマホやSNSの主人になるべきです。奴隷になってはいけません。

大事なのは付き合い方だと思います。

例えば「わたしでなくては報告できない」ものを投稿するのはどうでしょう?

・結婚式で友達が歌ってくれて泣いた
・一年かけて完成した絵を集めて個展をひらいた
・駅で心があたたかくなる親切をみた
・ずっと努力していた兄弟が医学部に合格した
・どうしても応援したいカフェがあった
・糖質制限ダイエットにいいたいことがある
・知られていない観光スポットをみつけた
・子どもが忘れられない絵を描いていてくれた

承認欲求というと、すぐに“悪いもの”あつかいする風潮があります。しかし承認欲求があるからこそ、がんばれる――それも真実です。その「正しい満たし方」があるはずです。

みんな、あなたの本当の人生にこそ興味があるのです。その目で見て、気づいて、体験から感じたことを。投稿するために作られたものでなく、あなたが人生で得た果実をみたいのです。

もちろん、そんな単純な話でないのかもしれません。すごくハードルの高いことなのかもしれません。けれど本来「まわりに人生を報告する」とは、そういうことなのだと思います。

そろそろ、そのスマホから顔をあげて、もっと大事なものを探してみませんか? もしSNSやらに心や人生の時間をすり減らしているならなおさらです。あなたは、あなたの人生を楽しむ権利があるのですから。もったいない。

そして、もし、それでも心に語りかけてくるものがあるなら――SNSに投稿しましょう。そうした「いいね!」には黄金ほどの価値があると思います。

もちろん、すべてはあなたの自由です。けれど、もし息がつまるなら、これを機会に、ちょっとSNSとのつきあい方を考えてみるのはどうでしょう、という話でした。

いまより、もっと心が軽くなるかもしれませんよ?


提供・DRESS(「人生を守る知恵、未来を歩く地図」となる言葉や人物、文化を伝えるウェブメディア)

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