ネットを使えば誰もが発信者になれる時代。今、改めて「ネットで誰かに何かを伝える」とは、どういう価値を生むものなのか、自分自身は何を伝えていくべきなのか考えてみませんか。個人投資家、作家の山本一郎さんに「ネットで伝える」をテーマに寄稿いただきました。

 皆さん、生きてますか? 生きてますよね、死んでたら生きてませんからね。生きているってことは、いろんなものを見て聞いて、感じたことを思い描いたり、理想に胸を膨らませ、現実に腹を立て憤慨し、好きな人と仲を紡いでお互いを慈しみ、価値のあることに取り組んで成果を出し生活の糧を得て、美味いもの喰ってうんこして風呂入って歯磨いてストレッチして寝る。

 良いことも悪いことも、すべては自分の認識であり感覚であって、外から内へ、内から外へ影響を及ぼし合いながらさまざまな経験をして、素敵なことも不愉快なことも取り込んで歳を取っていく。それが私たちが生きているってことです。

■伝えることは、自分が生きた証を残すこと

 私たちは、生きていく中でいろんなことを感じ、考えて暮らしています。考えてない奴はスマホ切ってクソして寝ろ。あ、こちらは女性向けサイトでしたか。大変不穏当な表現で申し訳ございませんでした。でもちょっと聞いてくださいよ。考えていることを伝える、ということはですね、内から外へ、すなわちあなたが生きて感じ、考えたことで世の中に「いま、ここに私はいますよ」という証を残す作業なのです。

 それは別に愚痴だって悩みだっていい。想いを伝えることで相手に影響を与え、より良い関係を築こうとし、末永く付き合い、生きていくことを補強していく作業こそが「伝える」ことに詰まっていると言っていい。仕事が辛い。家族との関係が悪い。友達ができない。お金がない。疲れる。老ける。思い通りにならないことこそが、伝える言葉に力を与え、生きる意味を深め、この世に生まれ落ちたあなたという存在に価値を持たせるのです。

 悩みがあって苦しいのに、伝えられなければ、その人の気持ちに思いを馳せることはできますか。喜びも願いも、すべては人の心の内にあります。それを声で、文字で、言葉にして誰かに伝えて初めて、その人がそこにあり、何かを感じ、考えていることを知ることができます。

■ネットで伝えるとき、その場の感情を適切に添えてみる

 では、すぐに反応の返ってくるネットでモノを伝えるというのはどういう価値を生むのでしょうか。SNSで生活を書く、ブログで日々を綴る、Instagramで人生の断片を写真で残す、どれも最初は自分の手の届く範囲の人たちにしか届くことはありません。それはあなたに価値がないからではなくて、読みに来る人たちの想いと共感することがまだできておらず、共感の輪が広がらずに届いていないからです。

 例えば、天塩をかけて育てている子どもの写真。笑っているかわいい顔は、親しい人であれば「あなたのお子さん、かわいいですね」というコミュニケーションを引き出すことでしょう。そこからあなたの感じた言葉を添えて、泥だらけ、だけど笑顔の子どもの写真に「少年少女時代を思い出しますね」と意味を持たせれば、自分の人生を振り返ったあなたの知らない人にも共感を持ってもらえることができるかもしれません。

 ネットで想いを伝えるということは、誰かの共感や肯定を得る方法を見つける旅です。理屈や知識だけではなく、また家族やインスタ映えする切り取られた画像だけでなく、そこにあなたが生きた証となるその場の感情を素直に、適切に添えることで、伝える幅はグッと広がっていくのです。単にためになった、ただ可愛いねというものの向こうにある「伝える」という言葉の技法を知ってこそ、あなたの生きた証を知る人は増えていきます。

■批判は恐れない。全員に賛同されることなんてないのだから

 もちろん、中には中傷を書いてくる人もいるでしょう。あなたの感覚には反対だと批判する人もいると思います。せっかく書いたものをけなされて、快く思う人は多くはありません。でも、こういう批評こそが書く人の力を強くします。そういう人たちよりもよく笑い、善き人生を送ることを、自らの道程にするのです。残した生きた証を一里塚とするならば、良く生きることは私たちの目標です。振り返ってみて、こんなこともあったね、楽しかったね、と思える人生の前には、誰かの悪感情や批判はさほど意味も持ちません。

 ネットで間違ったことを書いたり、誰かの感情を損ねたりして、難癖を付けられることは多々あります。間違っていたと思えば訂正し、傷つけたのなら謝るしかない。とはいえ、何かを感じ、考えたことを伝えるためには、100%の人に賛同されることなどないのです。間違ったことを書いて放置するのは駄目です。ただ、誰かに愛されなければ生きていけないけれど、すべての人に愛される生き方を望むのは不毛です。歳を重ねれば、譲れないことがあったり、名前を見るだけで虫唾が走るほど嫌いな人がいてもおかしくありません。そういうときは、笑って無視しておけば良いのです。

 批判されることを恐れて何かを伝えることなどできないし、すべての人に好かれるのは不可能だけど、分かり合える人たちと、自分の内にあるものを伝え、交換し、共有して、この時代を共に生きていることを祝うのです。

■自分の向かう先をはっきりさせると、伝えるべきことが決まる

 さらにそこから一歩、外に出ようとすると、必要な作業が出てきます。それは「あなたは何をするために生きているのか」を、ある程度はっきりさせることです。誰しもが良い人生を送りたいと思い、何かに取り組んでいるけど「それは、なぜ取り組んでいるのか」「どこに向かっているのか」が分からなければ、猛烈なスピードで走っている迷子のようなものです。

 人生に迷わないことが大事な理由は、相反する事柄で悩まなくても済むようにするためです。やらなくても良いことをしないことは、何かに真剣に取り組むのと同じぐらい大事です。なにしろ、何かに目的を持って取り組める時間は有限です。友達と良い人生を送りたい人であれば友達との記憶に思いを載せて共感を引き出すことが重要な一方、社会をより良くするために考えを記事にして伝えたいならばプライベートの話は後回しになります。向かうべき先がはっきりしてこそ、何を伝えるべきかがおのずから決まってくる、というのが摂理なのだと思います。

 私がネットで記事を書いたり、誰かに何かを伝える理由は「知りたいと切望したことを知り、自分なりに解釈したことを書き綴ることで、自分がこの社会で生きた証を残したい」からです。私は興味を持ったことはどうしても知りたいのです。知りたいからこそ、調べる。調べられたら、調べた内容を書く。

 「伝える」ことは、良い人生をこの世で送っているという生きた証を残す行為そのものです。そこには、必ず挫折や不幸や悲しみや不満や反省や後悔があります。人間、生きていれば胸をかきむしりたくなるほどの悔しさを味わうこともありますし、事実を受け入れることができず悶々と布団をかぶっていたいことだって起きます。でも、人生の浮き沈みのような振れ幅が大きく、それを乗り越えてきた人ほど、円熟した、幸せで良い人生だったと振り返ることもできるんじゃないかと思っています。誰かに伝えていなければ、振り返ることもできません。誰かに伝える勇気がなければ、未来の自分にいまの気持ちを日記として伝えても良いのです。

 最初からすべてを上手く伝えられる人などいません。誰もが赤ちゃんであり、炎上予備軍です。自分の人生をしっかりと見据えて、一歩一歩前に出ていくことができれば、実りある相応しい生き方を実践できるかもしれません。

Text/山本一郎
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる。高齢社会研究や時事問題の状況調査も。「Yahoo!ニュース 個人」や「文春オンライン」など多数の媒体へ寄稿。『ネットビジネスの終わり(Voice select)』『情報革命バブルの崩壊(文春新書)』など著書多数。


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