初春に訪れる韓国の名節

寒食(ハンシッ)は、旧正月(ソルラル)、端午(タノ)、秋夕(チュソク)と並ぶ、韓国の4大名節のひとつ。12月下旬の冬至(トンジ)から105日目に当たる日で、陽暦では毎年4月5日~6日頃が該当します。

寒食という名称は、その字にもあるように、冷たい料理を食べるという韓国の昔の習慣からきています。現在では、主に先祖のお墓参りをする日として、韓国の人々の生活に根付いています。

寒食の由来

韓国の寒食(ハンシッ)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

寒食の起源として最も代表的な説は、春秋時代の中国・晋で起こった出来事に由来しています。

当時、晋文公(チンムンゴン、晋の王子)の窮地を救った介子推(ケジャチュ)という忠臣がいました。後に君主となった晋文公ですが、政事に明け暮れるあまり、介子推のことをすっかり忘れてしまいます。

その一方で、介子推は山に隠棲するようになり、姿を見せなくなりました。晋文公が介子推の忠誠心に気づき、宮廷に呼び戻そうとしましたが、時遅し。介子推を山から下りて来させたい一心で、晋文公は山に火を放ちます。しかし、介子推は出てこず、山は全焼。柳の木の下で遺体となって見つかります。

自分の過ちをひどく後悔した晋文公。介子推を慰霊するために、毎年彼の命日には火を使用することを禁じ、人々は冷たい料理を食べるようになったのが寒食の始まりと言われています。

韓国の寒食(ハンシッ)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

また、古代の改火儀礼に由来するという説もあります。

すべてのものが命を持ち、長い時間が経てば消滅すると考えられていた原始社会では、周期的な更生が必要とされていました。火も同様に、毎年春に長い間使用した火をすべて消し、新しく起こし直す「改火」が行われていましたが、新しい火を点灯するまでの期間に冷たい料理を食べるようになったのが起源、というものです。

朝鮮時代には、寒食に柳の火種(新火)が王に献上され、その火が官民に分け与えられるまで、古い火(旧火)は一切消さなければならない風習がありましたが、これは古代の改火儀礼からきていると言われています。

寒食の風習

韓国の寒食(ハンシッ)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

歴代王の魂が眠る宗廟でも祭祀が行われた
様々な説を持つ寒食ですが、韓国では高麗(コリョ)時代になって寒食の日に官吏に墓参りを許可したり、罪人に対する刑罰を禁じたりするといった措置が取られました。

朝鮮時代には4大名節のひとつとしてさらに重要視されるようになり、朝廷では宗廟(チョンミョ)と陵園(ヌンウォン、御陵)で祭祀を行う一方、民間では果物や韓菓(ハングァ)、シッケなど様々な食べ物を用意して、祭祀を簡易化した茶礼(チャレ)が行われたりしたそうです。

さて、現代の韓国では寒食をどのように過ごすのでしょうか?寒食を代表する風習をいくつかご紹介しましょう。

墓参り

かつてはいろいろな行事が実施されていましたが、今ではそのほとんどが行われなくなり、先祖を偲ぶ墓参りだけが寒食の習慣として残っています。

墓参りの際には、冬の間に荒れてしまった墓地とその周辺を清掃したり補修したりします。特に、芝生を新しく植えたり、盛り上がった部分を改修したりすることを「改莎草(ケサチョ)」と言います。

韓国の寒食(ハンシッ)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

墓前で茶礼を行う

韓国の寒食(ハンシッ)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

雑草を抜きお墓を覆う芝生を整備

韓国の寒食(ハンシッ)
(画像=『韓国旅行コネスト』より引用)

墓参りは親戚一同で行うことも