福田敬子 柔道家 日本→アメリカ
敬子は日本で生まれました。大きくなるまでのあいだに、そのころの日本のおしとやかな女の子たちと同じように、敬子も書道や生け花や茶道などを習いました。そして、ある日、柔道も習ってみよう、と決心しました。
敬子はほかの練習生とはちょっとちがいました。敬子のおじいさんはむかしはさむらいで、柔術の達人だったのです。
敬子の柔道の先生は、敬子のおじいさんのいちばん弟子だった人でした。敬子の先生はむかしの柔術をもとに、新しく〈柔道〉という武道をつくりだしたのでした。柔道では、対戦相手と組みあい、体のバランスや力を利用して相手をたおし、身動きができないようにおさえこむのです。「いっしょに練習しよう」と敬子の先生はさそいました。
柔道家というのは柔道の選手のことですが、はじめて女の柔道家が練習しているのを見たとき、敬子はびっくりしました。体をずいぶんはげしく動かしていたからです。
それでも、柔道ではかならずしも体の大きな選手が勝つわけではありません。すばしこくて、力があって、自分から進んでいっしょうけんめいに練習をする意欲と根性のある人なら、つよい選手になれるのです。
お見合いの話が持ちこまれたとき、結婚するには柔道をやめなくてはならないとわかって、敬子の心は決まりました――「結婚はしない、そのかわりに柔道をする人たちをわたしの家族にしよう」
敬子の柔道の先生はなくなる前、おしえ子たちに「柔道を世界に広めてほしい」とたのんでいました。敬子はそれを実行にうつします。この新しいスポーツ、柔道をおしえるためにアメリカに移住したのです。
柔道ではつよくなって試験に合格すると“段”があがります(それを昇段といいます)。敬子も昇段しつづけました。
2006年には九段になりました。女の柔道家の中では、世界最高の位です。柔道の最高の位は十段、あと一段昇段すればいいだけです。十段になった女の柔道家は、そのときはまだいませんでした。
2011年、敬子が98歳のとき、アメリカ柔道連盟が敬子にその十段をさずけたのです。女の人で、柔道の最高位である十段になったのは、敬子がはじめてでした。
「つよく、やさしく、うつくしく」(福田敬子) KEIKO FUKUDA 1913年4月12日─2013年2月9日
マルジャン・サトラピ グラフィック・ノベリスト イラン→フランス
むかし、自分のとくいなマンガで政府をひはんした女の子がいました。マルジャンが子どものころ、イランでとても大きな変化が起こりました。
まず、革命が起こり、政治や世の中のしくみが変わりました。それからイラクとの戦争もはじまりました。最初のうちは、革命はいいことかもしれないと考える人もいました。革命が起きた日は、町じゅうがお祭りさわぎになったほどです。
マルジャンと両親は、新しい政府のリーダーたちと同じイスラム教徒でしたが、政府のやり方には反対でした。革命によってできた政府は、宗教上のいろいろな決まりをとてもきびしくおしつけてきたからです。
政府が新しい決まりをつくるたびに、マルジャンはさからいました。
女はみなベールをかぶるという決まりができると、わざとかみの毛を見せました。どんなかっこうをするべきか決められると、禁止されているスニーカーをはき、Gジャンを着ました。ある音楽が禁止されると、その音楽のカセットテープをこっそりと買いました。
そして、学校の先生がイランのリーダーたちをほめたたえると、マルジャンはものおじしないで、どうしてなのか質問しました。
マルジャンの両親はむすめのことをほこらしく思ういっぽうで、不安になりました。そんなことをしていたら、ろうやに入れられるかもしれません。
両親はマルジャンを、寮のあるオーストリアの学校に入れることにしました。そこなら安全だろう、と考えたのです。
高校を卒業すると、マルジャンは絵の勉強をするためにフランスに行きました。マルジャンは前からマンガがだいすきだったので、自分でもマンガをかくようになりました。白黒のたんじゅんな線だけを使かって、子どものころのできごとを、グラフィック・ノベルとよばれる長い小説のようなマンガでかきました。
この『ペルセポリス』という作品がしゅっぱんされると、世界じゅうでベストセラーになりました。その後、マルジャンは、映画化に協力し、完成した映画は〈アカデミー賞〉の候補にもなりました。
フランスに住むようになってからも、マルジャンは、自分のふるさとのイランを舞台にした物語をマンガで伝えつづけています。
「人は生まれつきゆうかんなわけじゃない。人は自分の力でゆうかんになる」(マルジャン・サトラピ) MARJANE SATRAPI 1969年11月22日─
(※当記事は本書の内容を一部抜粋、再編集の上、掲載しています)
【エレナ・ファヴィッリ】 〈ニューヨークタイムズ〉ベストセラー作家。受賞歴あり。ジャーナリスト、ガラスの天井をやぶった人。2016年、クラウドファンディング史上もっともたくさんの寄付金を集めた出版プロジェクト、『グッドナイトストーリー フォー レベルガールズ:世界を変えた100人の女の子の物語』を共著・出版した。同書はこれまでに50近くの言語に翻訳されている。エレナはイタリアで育ち、現在は、道を切りひらいた女の人たちの生き方に光をあて、紹介することに力を入れるメディア企業〈レベルガールズ〉の最高クリエイティヴ責任者をつとめている。ラファイエットという名前のイタリア原産の犬(ブラッコイタリアーノ)とともにロサンゼルス在住。
<文/エレナ・ファヴィッリ 訳/芹澤恵+高里ひろ> エレナ・ファヴィッリ
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