今と違う場所や国で生きてみたいと思ったことはあるでしょうか?
飛行機で世界中の都市へ手軽に移動できるようになった現在ですが、そうはいっても母国を離れるのはなかなか勇気と行動力がいることだと思います。
でも、そんな困難を打ち破って自分の夢を実現させた女性も数多くいます。エレナ・ファヴィッリ『世界を舞台に輝く100人の女の子の物語』(訳=芹澤恵+高里ひろ)では、人生のどこかのタイミングで、さまざまな理由から別の国に移り住む経験をして活躍する女性たちがユニークなタッチの似顔絵とともに紹介されています。その中には日本人も!
ビルボードHOT100チャートで7週連続1位という記録を持つリアーナや『ブラックパンサー』『それでも夜は明ける』のルピタ・モンディ・ニョンゴ、『プラダを着た悪魔』の鬼編集長のモデルといわれるアナ・ウィンターをはじめ、科学者、エンジニア、政治家、スポーツ選手やシェフなど、さまざまな女性の生き方が、その人生の転機を中心に綴られています。子どもへの読み聞かせ本として書かれているので分かりやすく、寝る前の時間など、ちょっとした時間に大人も楽しめます。
そんな国境を超えた100人の女性たちの中から、今回は3人を選んでご紹介しましょう。
ドリン・シモンズ 相撲解説者 イギリス→日本
むかし、自分が住んでいるのとはちがう国の生活を見てみたいと思っていた、ドリンという女の子がいました。イギリスで生まれ育ったドリンは、大学を卒業すると、ふるさとをはなれて、まずはとおくのシンガポールに、それからもっととおくの日本に向かいました。その日本で、国じゅうの人に人気のある相撲というスポーツに出会って、とりこになってしまいました。
ふるさとのイギリスではクリケットという球技が人気です。ドリンも毎週、土曜日にはかかさず試合を観戦して、試合について細かくメモを取っていました。それから何年かして日本で相撲というふくざつなスポーツと出会ったとき、ドリンは同じことをしました。観戦するたびに細かいメモを取り、そしてその競技の専門家になったのです。
「クリケットを観戦するときと同じように、相撲を観戦したの。自分でスコアカードをこしらえて、それにメモを取りながら。ああ、それともちろん、必死になって日本語も勉強したけど」ドリンはそういっています。
相撲のトーナメント(“大相撲の本場所”といいます)は日本のあちこちで開催されます。大相撲の本場所を観戦するため、ドリンは日本全国をとびまわりました。
そのうちに雑誌に相撲の記事を書くようにもなりました。女の人が――それも日本人ではない女の人が、相撲の世界をしょうかいするなんて、ものすごくめずらしいことです。それでも、ドリンは、みんなが思ってもいなかったことに挑戦するのを、ためらいませんでした。
1992年、ドリンは全国ネットの大相撲の中継で、パートタイムの英語解説者として登場することになりました。中継を見ている人たちに向けて、土俵の上で何がおこなわれているのかをわかりやすく伝える仕事です。テレビ局は、ドリンをたよりにしました。相撲についてとてもくわしく、専門的な知識を持っていたからです。
2017年には、日本の政府から、日本の文化を広めるために力をつくしたことをたたえられて、日本でもっとも名誉ある勲章のひとつ、〈旭日双光章〉をおくられました。
「そのときを境に、人生の何もかもが白黒の世界からうつくしいカラーの世界に変わったの。 それ以来ずっと、その光あふれるカラーの世界で生きてきてるの」(ドリン・シモンズ)
DOREEN SIMMONS 1932年5月29日─2018年4月23日