マゾヒストとしての体験を綴ったエッセイ漫画『実録泣くまでボコ られて初めて恋に落ちました』(通称『ボコ恋』)で衝撃のデビューを飾ったペス山ポピーさん。最新作『女(じぶん)の体をゆるすまで』も、webマガジン「やわらかスピリッツ」連載時から物議を醸し続けている。先月とうとう全18話の最終回を迎え、来る6月10日更新の番外編の完結をもって幕を閉じる。
『女の体…』は、アシスタント時代、漫画家の先生から受けたセクハラをきっかけに、自らの原体験を掘り下げ、性的な差別意識に向き合っていくジェンダー・コミックエッセイ。その生々しい心理描写と冷静な考察が、多くの読者の共感と反響を呼んでいる。
また、コメント欄が誹謗中傷で荒らされた際に作者と編集部が共同で公式文書を発表し、その真摯かつ誠実な対応にも注目が集まり、話題となった。
気鋭の漫画家・ペス山ポピー氏に、作品を書くに至った経緯やコメント欄を承認制にした際の心境について語ってもらった。
ずっと後遺症みたいな状態で生きていた
――まず、とてもショッキングだったのが『ボコ恋』番外編(2019年10月公開)。本編では「天使ちゃん」と呼ばれ可愛らしい男の子として描かれていた彼氏が、実はモラハラだったとわかります。でもそのことを描こうとすると、自分の中の女性差別的な一面と向き合うことになってしまうから描けなかったと作中で葛藤(かっとう)されていましたよね。それでも描こうと思ったのには、何かきっかけがあったんでしょうか?
ペス山ポピー(以下:ペス山):正直、このセクハラの問題に向き合ったのがきっかけでした。いきなりあの番外編は書けなかったと思います。自分の被害と向き合って、いろんな本を読んで勉強して、やっと描けたというか。 ずっと後遺症みたいな状態で生きていたので、いつか自分のそういう面とちゃんと向き合わなきゃいけない時が来ると思ってて。セクハラのことを描く前に、この問題を通らなきゃいけないんじゃないかなと。
――番外編前半の公開から、『女の体…』の第一話冒頭でX氏に連絡を取るまで一週間しか空いてないんですよね。この間に何か心境の変化があったんでしょうか。
ペス山:これ(番外編)描いたからもう言っていいやと思って。ちょうどその日、朝からフラッシュバック起こしてウワーッてなってて、すごい腹が立って言わなきゃ!と。勢いで(笑)
――『女の体…』を描き始める前と後とで、ご自分の中で何か変わったことはありますか?
ペス山:『女の体…』を描くって決めてから、カウンセリングに行って治療的なことを始めたりして、本を読んで勉強したり、具体的な行動として変わりましたね。 それに、(『ボコ恋』で描かれているような)プレイ的なことは全然しなくなっていて。ビデオも見なくなりました。そういう意味では、確かにめっちゃ変わりました(笑) 私は自分が不健康なのをよくわかってて描いてるんですけど、『ボコ恋』は自分の「症状」そのものだったんだなって思います。『女の体…』は、その「病巣」を描いているという実感はありますね。
つらくてもしんどくても真実の方がいい
――X氏が風呂場に来るシーン、漫画なのにVRみたいな臨場感があって、すごく怖かったです。
ペス山:最近『チェルノブイリ』というドラマを見たら、第一話がすごくて。何回も見たんですけど、セクハラのシーンでもこんな風に描きたいと思って(笑)
――ペス山さんの漫画の魅力は、巧みな技術はもちろん、赤裸々な内面描写や極めて冷静な自己分析にあると思います。コメント欄でも書かれていましたが、ここまで全部さらけ出してしまって大丈夫なんだろうかとハラハラしている読者も多いのでは。
ペス山:最近できた友だちに「(ペス山さんは)真実ならそれでオッケーです!ってタイプなだけですよね」って言われて気づいたんですが、私はそれが事実なら描いててあんまりしんどくない。「しんどそう」っ言われると、「そう見えるんだ!」って思う。私にとっては、オブラートに包んだ状態の方がたぶん苦しいんですね。よく見えない・事実と違う状態を拠り所にして生きるくらいなら、つらくてもしんどくても真実の方がいい。
例えば、虐待されたのに「でも(相手は自分を)愛してくれてた」とか「そのおかげで強くなれた」って言うのは、すごい分厚いオブラートだって思う。でもそのオブラートで包んで自分の痛みが見えないと、他人の痛みもわからなくなるし優しくなれない。人が血流して歩いてるのに「麻酔打てば大丈夫だよ!」って言ってしまったり。