まばゆい雪のような白い髪が、彼女の神々しさを引き立てる。その笑顔は、身に着けているどんなアクセサリーよりも美しい――。85歳にして、現役スーパーモデルとして活躍する、カルメン・デロリフィチェさん。
生きる伝説としてモデル界のトップに立ち続け、今なお引く手あまたのカルメンさん。「若さ」がもてはやされる業界にいながら、70年も第一線で仕事を続けてこられた理由とは何だったのだろうか。
彼女の価値観を形づくった生い立ちや、仕事への取り組み方から探っていきたい。
斬新なスタイルが目を引き、14歳でモデルの世界へ
1930年代、カルメンさんが生まれたニューヨークは大恐慌の真っ只中。ハンガリー人移民のシングルマザー家庭で育ったカルメンさんは、苦労して自分を育ててくれた母の期待に応えたい一心で生きてきた。
「当時、女の子には『誰かの妻になること』が求められていました。働きに出る場合でも、看護師か秘書くらいしか女性が就ける仕事はありません。モデルや女優なんかは売春婦と同じような扱いで、社会的に下等なものと見なされていたのです。ただ、もともとダンサーだった母は、自分の夢を託すように、私にバレエを習わせてくれました」
バレエに魅了されたカルメンさんは、毎日情熱を持って練習に臨んだ。そんな彼女がモデルのキャリアをスタートさせたきっかけはスカウト。彼女は今でもそのシチュエーションを鮮明に覚えている。
「それは13歳の時でした。ニューヨークの57番通りと3番街の交差点で、『ジュニア バザー』という若者向けのファッション雑誌でカメラマンをしていた男性の奥さんが私に声を掛けてきたんです。当時の私は腰まで届くようなロングヘアをただおろしていて、これが当時のNYでは斬新だったのかもしれない。『今度、お母さんにこの住所まで連れてきてもらいなさい』って撮影スタジオのアドレスが書かれた紙を渡されました」
当時からファッションは大好きで、貧しいながらも身奇麗な格好はしていたというカルメンさん。母の後押しを受け、人生初の撮影に期待を膨らませて臨んだ。しかし、出来上がった写真を見たカメラマンからは「君はまだ写真映えしないようだね」と言われてしまったそう。「その時は自分自身を全て否定されたように感じて、ただ、悲しかった。言葉の真意はそういうことではなかったのだけれど、当時はそれが理解できなかったんです」と、初めて経験した挫折についてカルメンさんは振り返った。
次に転機が訪れたのは、14歳の時。毎週日曜日に通っていたギターコミュニティーで出会った女性が、『VOGUE』のライタースタッフだったのだ。
当時のカルメンさんのスタイルは、体重が90ポンド(約40キロ)で身長が5フィート9(約175センチ)。「痩せ過ぎで、まるでコート掛けみたいだった(笑)」と自身のスタイルを表現する。だが、彼女を「撮りたい」と申し出て来る『VOGUE』のカメラマンは絶えなかった。
「私はまだ10代だったけれど、格好はすごく大人びていたと思う。それに、幼い頃から貧しい家庭で育って、大人にならざるを得なかったせいか、周囲の大人たちが何を望んでいるのかすぐに察して指示通り動くことができた。だから、重宝されたんでしょうね」
およそ10年を『VOGUE』で過ごした後、カルメンさんは活動の場を『ハーパーズ バザー(Harper’s BAZAAR)』に移した。当時、モデルは専属の形をとり、1つの雑誌でしか仕事ができないルールだったのだ。