17年に渡る連載の果て、よしながふみの『大奥』が完結した。

ジェンダーだけでなく、政治、疫病、恋愛など、今日のさまざまなイシューを内包したこの巨大な物語は、『ベルサイユのばら』にも比肩する歴史ロマンの大傑作となった。よしなが大奥以後、フランス革命にはオスカルやアンドレがいたように、聖徳太子は超能力者で同性愛者であったように、大奥は男だらけの世界であったと、少女マンガ読みには確かに記憶されることだろう。

女性が将軍を務める世界で大奥は男の園

 舞台は江戸城、大奥。女性が将軍を務めるこの世界では、大奥はもちろん男の園だ。8代将軍・吉宗ももちろん女性として描かれるが、彼女は長いことある違和感を抱いていた。将軍をはじめ、武家も商家も、家業を継ぐものはなぜ男名を名乗るのか?

よしながふみ『大奥』「男女逆転」だけではない物語、その影の主役とは
(画像=『女子SPA!』より引用)

 その答えを求めて吉宗は大奥が開かれて以来書き続けれられて来た門外不出の日記「没日録」を紐解く。そこに記されていたのはこの国の驚愕の歴史だった──。

以来19巻に渡って、3代将軍・家光から最後の将軍・慶喜に至るまでの歴史が描かれるのだが、これほどの傑作となった理由は、波瀾万丈に富む将軍たちの物語はもちろんのこと、連載当初からこの一点に着地するよう狙い澄ましていたであろう、緻密な構成とラストシーンの美しさ抜きには語れない。 【※注意!以下、最終話についての記述があります※】

最終話、若き日の津田梅子に、かつて大奥で天璋院胤篤と呼ばれた男はこう語りかける。 「この国はかつて代々女が将軍の座に就いていたのでございますよ…」  この終わり方ががなによりも美しいのは、「すべての希望」がここに凝縮されているからだ。

『大奥』は秘密を暴き出す物語

 まず思い出していただきたいのは、1巻の冒頭に掲げられたこの文章である。

 大奥に仕える者達はみな次のような誓詞に血判を押さねばならない。 「大奥で見聞きしたる事いかなる事も親兄弟はもとより一切外様へ申すまじき事。」

よしながふみ『大奥』「男女逆転」だけではない物語、その影の主役とは
(画像=『女子SPA!』より引用)

 つまり大奥を物語るこの作品は、本来ならば外部に漏れることがない「秘密」の暴露として幕を開けたのである。そしてこの秘密は大奥のみならず、日本という国家の秘密でもあった。吉宗が憂慮したように、疫病によって男が少ないという事情を諸外国に知られたら、即座に侵略されてしまうからだ。

 そもそも権力に秘密はつきものである。3代将軍・家光とのあいだに子どもができずにいた御中﨟の有功(ありこと)は、それがために新たな御中﨟があてがわれると知ったとき、

「こないにしてまで血を繋げたとしてその後に何が待っているというのです!? そうまでして守らねばならぬ徳川家とはあなたにとって一体何なのですか!!」

と春日局を問い詰めるのだが、彼女は表情も変えずにこう答える。

「それは戦の無い平和な世の事です」

 現・家光の父親である本来の家光が赤面疱瘡で死んだときにはその事実を伏し、娘を身代わりとすることで、春日局は体制を維持した。後に身代わりとされた娘は自ら表舞台に登場し、女将軍としての存在を周囲に認めさせるのだが、歴史はやがて、今度は男が政治の実権を握っていた時代を、黒く塗り潰していくだろう。

影の主役は権力

そうして読者が目撃したのは、200年ものあいだ、江戸城で密かに展開された、権力の来し方と行く末の物語であったのだ。本作の影の主役は「権力」であるとも言える。

 権力の持つ暴力性と、その一方で権力者たちが抱える苦悩や哀しみは、本作の一貫した主題であり、読みどころだ。そしてそれらがいっそう強く顕れるのは、よしながふみの筆力はもちろんのこと、その主体が女であることも大きく影響しているだろう。

 年老いた5代将軍・綱吉は「私は結局この世で何ひとつ後の世に繋ぐことができなかった。善き政を行う事もできず世継ぎを残して徳川の世を盤石にする事もできず…。将軍として女として人に望まれた事は何ひとつできなかった…」と嘆息した。

よしながふみ『大奥』「男女逆転」だけではない物語、その影の主役とは
(画像=『女子SPA!』より引用)

権力を「正しく」行使したかのように見える8代将軍・吉宗ですら、将軍の座につくまでには、側近の久通が密かに多くの人間を殺していた。その事実を知った吉宗は、久通を処分するでもなく、「今までずっとそなた一人が背負ってくれていたのだな……」と涙した。

 政治の実権を握り、後継者となる子をなそうとして、女将軍が大車輪で働く一方で、権力の傍流に追いやられた男たちの姿は、ある種の哀切さをもって描かれている。よしなが大奥に枕詞のように付けられる「男女逆転」というキャッチフレーズはやや正確ではない。この物語は単に男女のジェンダーロールを逆転させただけではなく、いかに性が権力のありようを変えていくかを描いているからだ。