【積読を崩す夜】28回目では、『なぜこんなに生きにくいのか』(著:南直哉)をご紹介します。『DRESS』4月特集は「愛すべき、私のややこしさ」。コンプレックスと向き合ってうまく生きていくのは思いのほか難しいものです。困難なときにこそ、具体的な思考で乗り切るための“著者流”仏教的教えをご紹介します。
■困難なときこそ、仏教的思考で乗り切る
積んであるあの本が、私を待っている……。少し早く帰れそうな夜、DRESS世代に、じっくりと読み進めてほしい本をご紹介する連載【積読を崩す夜】。
28回目は、『なぜこんなに生きにくいのか』(著:南直哉)を取り上げます。
『DRESS』4月特集は「愛すべき、私のややこしさ」。自分のコンプレックスを意識しすぎると、生きていくのがつらく感じられるもの。自らの生きづらさから仏門に入った禅僧の著者が提案する、究極の処生術をご紹介します。
■常識を疑う「第三の視点」を持つ
生きていると、いろいろなことがあります。そのとき、世の常識、あるいは人の「正解」があるという思いこみから、自分を解放したほうがいいと思うのです。
「常識を疑う」というのは、実際やろうと思うと案外難しいものです。人間は欲が入ると、その欲から離れて物事を見るのが難しいからです。しかし、「常識を疑う」視点がもてると、世界や自分のありようというものを、まったく違う視点から見ることができます。
(118~119ページより引用)
サラリーマン生活を経て、曹洞宗で出家得度した著者は、福井県の永平寺に入門。約20年もの間、修行生活を送り、2005年からは青森県恐山の山主代理に。そのかたわら、仏教に関連した生き方にまつわる多数の著書を綴っています。
著者は、常識を疑う「第三の視点」を持つことに大切さを語っています。世の中が正しいと言っていること、自分が正しいと思っていることは、ひょっとしたらすべて違うのではないか。そのように、新しい視点でもう一度物事を眺めてみることが重要だといいます。
著者は、中学生のときに国語の教科書の中で「諸行無常」という言葉に出会い、衝撃を受けました。そのとき、「これが僕の感情を説明する言葉だ」と直感したのだとか。
絶対で確かなものはこの世にはないということ。しなければならない、絶対だと思いこんでいるものを一度疑って見つめてみることは、自分自身を自由にしてくれるのかもしれません。
■怒りが生じたときの対処法
僧侶でなくても、「怒り」の本質は同じでしょう。人は自分が正しく、相手が間違っていると思うから、怒るのです。
ならば、自分が正しいと考えていることがきちんと伝わり、相手に間違いを納得してもらわなければなりません。つまり、怒りそのものは感情でしょうが、怒りが問題にしていることは、本質的に理性的な事柄なのです。
(188ページより引用)
近年、アンガーマネジメントが話題になっています。怒りをうまくコントロールしていくことも、生きづらさを解消することにつながるでしょう。
禅道場で後輩を指導してきた著者は、強い怒りが生じたときの対処法として、以下のことをあげています。
1.体の姿勢を整える。
2.一度は許すと最初から決めてしまう。
3.自分の怒りの理由が、自分と相手の間だけではなく、利害関係のない第三者が聞いても納得するものかどうか考える。
強い怒りは、下から突き上げてくるように感じられて、姿勢を上に導くといいます。つまり、人は激しく怒ると立とうとするのだとか。だからこそ、椅子に座ったり、地面になるべく座ってしまう。すると、感情のボルテージが必ず大きく落ちるのだと著者は言います。
また、一度目の物事は許すと決めてしまう。そして、その間に、時間を置いて自分の正しさを検証しておく。それによって、二度目に起きたときには、怒りの感情を大幅に節約できるのだとか。
このように、感情を抑える方法を、しっかりと自分で持っているということ自体が大切なのかもしれません。怒りを封印するのではなく、上手に調整しながら物事を好転させるコツを知っておくことは、生きづらさを解消するうえで、大事な処生術だといえそうです。
■あるものを得るために、あるものを捨てる
必要なものを切るというのは、ただ我慢するということではありません。それでは結局、息切れするでしょう。
人があえて必要なものを切ることができるのは、より必要なものへと向かっていくときだろうと思うのです。「少欲知足」と言いますが、これは目標として掲げるようなものではなく、何かの結果として生ずるものです。
(200~201ページより引用)
たとえば携帯電話など、便利ではあるのですが、いつも持っていると常に携帯に気を取られて、自由な時間を拘束されてしまうといった弊害があるものです。
このように、人は便利さを追求して保有し続けていくと、かえって自分自身が窮屈に生きづらくなっていく傾向があるようです。
とはいっても、必要なものをただ捨てるだけでは意味がありません。何かを「狙う」ことが先にあって、そのために何かを切っていくということが大事だと著者はいいます。
無目的にモノを捨てたり、欲を捨てようとしたところで、何が足りていて何が少ないのか判断基準がないと、ただのガマンになってしまうのだとか。
アップデートしていく意味合いというものを自分の中で明確にすることで、「あるものを得るためにあるものを捨てる」という行動が、無理なくできるようになります。
生きていく中では、他者との関わりだけではなく、自分自身の性格や感情と折り合いをつけるなど、いろいろな試練があります。仏教的思考を参考に、いつもの自分のスタイルやパターンを少し変えることで、生きづらいと感じていた気持ちがほんの少しでもラクになるかもしれません。
『なぜこんなに生きにくいのか』書籍情報
なぜこんなに生きにくいのか(新潮文庫)
¥ 464
著者 南直哉さんプロフィール
禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。1984年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。著書に『語る禅僧』(ちくま文庫)、『日常生活のなかの禅』『「正法眼蔵」を読む』(以上、講談社選書メチエ)、『老師と少年』『なぜこんなに生きにくいのか』(以上、新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『善の根拠』(講談社現代新書)、『禅僧が教える心がラクになる生き方』(アスコム)など。
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