次々と報道される有名人の結婚離婚。その背景にある心理や世相とは? 夫婦関係を長年取材し『夫の不倫がどうしても許せない女たち』(朝日新聞出版)など著書多数の亀山早苗さんが読み解きます。(以下、亀山さんの寄稿)

作戦負け?福原愛の離婚報道に思う

 卓球の元五輪選手である福原愛さん(32歳)と夫で卓球選手の江宏傑(32歳)の離婚が発表された。2016年に結婚、17年に長女、19年に長男をもうけたふたりだが、今年1月には福原さんが夫に離婚の決意を伝えたといわれている。

 夫婦のことは他人にはわからない。だが先に表に出てしまったのが、彼女が日本に帰国した際、知人男性と「デート」している報道だ。  これを機に、「子どもを台湾に置いて日本で不倫をしている」と言われて彼女の好感度は地に落ちた。その後、夫や義姉のモラハラが報じられても、時すでに遅し。

 だがここへきて、30代、40代の女性たちから「愛ちゃん、かわいそう」の声も漏れ聞こえてきている。

夫にコンプレックスがあったのでは?

 たとえば、である。同じ職業に就き、もともと知名度も実力も妻のほうが上。引退後も、妻はそれまでの業界で引っ張りだこ。同い年ということもあって、夫はどんな思いでいたのだろうか。コンプレックスが肥大しなかっただろうか。「あの有名な妻と結婚できた」夫という目で見られることに対して、彼は鷹揚(おうよう)ではいられなかったのではないだろうか。だからこそ、夫は自分の地元で生活することを提案したのかもしれない。

「どこででも仕事はできる」と踏んだ妻が、夫の地元で同居を始めると、夫の母や姉がプライバシーを曝露する、夫は「派手な服装をするな」と抑圧してくる。妊娠してつわりがひどく、吐くと「栄養がいかない」と叱られる。そんな状況で穏やかに暮らせるだろうか。自分の身に置き換えた同世代の女性たちから「かわいそう」という評価が出るのも不思議はない。

 もし彼女が日本で暮らしていたら、同じ状況になっただろうか。会社を設立し、夫にもしかるべき役職を与え、お互いに相手を尊重することができたかもしれない。  相手のテリトリーに入り込んでしまうと、結婚生活はふたりだけのものではなくなってしまうのではないだろうか。

誰もが「うちの愛ちゃん」「隣の愛ちゃん」という眼差し

 国際結婚というむずかしさはあるだろうが、それだけではない「結婚にまつわる普遍の困難」がそこには生じているような気がしてならない。

 彼女が日本で不倫をしていたかどうかは定かではないが、もし報道通り、相手男性が結婚していることを彼女が知らなかったとしたら、離婚協議中に別の男性に欺かれていたこととなり、これまた「かわいそう」である。

小さいころから日本中の人たちに顔を知られてきた彼女、誰もが「うちの愛ちゃん」「隣の愛ちゃん」という眼差しで見てきた。彼女は卓球を離れても「いい子」でいなければならなかった。一部では「恋愛体質」だと言われているが、それの何がいけないのか。彼女にあるのは、自分の人生に対する責任だけである。

 さまざまなことに耐えられなくなって離婚を決意したのは彼女の意志。「うちの愛ちゃん」「隣の愛ちゃん」として見守ってきたという自負のある人ほど、本来なら彼女を支持してしかるべきだろう。だが自分の理想と違うと叩かれるのがこの国のありよう。「ゲス不倫」の女性タレントのときと同じ構図だ。現在、福原さんはひたすら沈黙を守っているが、その心情を考えると胸が痛む。