【3】個性的な石垣も見落とさないで!
城を支える上で重要な石垣。その中でも特に見どころとなる石垣スポットがあります。
扇の勾配
「ぬの門」前にあるこちらの石垣。端の石は強度を高める算木積と呼ばれる積み方で、見上げるとまるで扇を広げたような曲線になっていることからこの名がついています。下から眺めた曲線美は、姫路城一です。
鏡石
こちらも同じく「ぬの門」前にあります。ぱっと見ただけでは素通りしてしまいそうですが、正面に立ってよく見てみてください。石垣が人の顔をしているように見えませんか?
こちらの鏡石、偶然このような形になったのか、呪術的な意味が込められているのか、いまだに謎なんだそうです。
姥が石
資材不足であった戦国時代。元々他の用途で使われていた石を石垣として再利用した「転用石」が多く発見されています。その一つが乾小天守の天守台の石垣にある姥が石。
この石は、豊臣秀吉の築城時代、石不足に悩んでいたところ一人の貧しい老婆が足しにして欲しいと差し出した石臼。この話が広まり、城に寄付される石が増えたという言い伝えがあります。
【4】波乱の人生、千姫が過ごした西の丸にも足を延ばして!
「西の丸」と呼ばれるエリアは、池田輝政の次に城主となった本多忠政によって増築されました。その息子、忠刻の妻となったのが、徳川家康の孫の千姫です。
元々千姫は、豊臣秀吉の息子である秀頼の妻でしたが、豊臣家が大阪夏の陣で滅亡。大阪城から助け出された千姫はその後、忠刻と再婚しました。
その千姫の10万石もの化粧料(嫁入りの持参金)で建てられたのが、西の丸にある長局(百間廊下)と化粧櫓です。10万石は現在の貨幣価値に換算すると40~50億とも言われます。想像を絶する額ですね。
長局は、長さ約240mにも及ぶ長さ。化粧櫓は、千姫が休息所として使用していたことからこの名がついたと言われています。
忠刻との再婚後、子供にも恵まれ幸せな生活を送っていた千姫でしたが、長男の幸千代がわずか3歳で死亡。その5年後には忠刻も31歳の若さでこの世を去ります。その後、千姫は10年間過ごした姫路城を出て江戸へ戻ります。
化粧櫓には、百人一首を楽しむ千姫の姿が。波乱万丈の人生の中で、千姫にとってはここ姫路城で過ごした時代が、一番穏やかで幸せな時代だったのではないでしょうか。
さいごに
広大な敷地を持つ姫路城。見どころも沢山あり、一つ一つをじっくり見ていけばあっという間に時間が過ぎてしまいます。
また「100名城」「国宝」「世界遺産」と多くのタイトルを持つ姫路城には観光客が絶えません。時には大天守へ入場するまでに長蛇の列になることも。訪れる際は、時間に余裕を持ってたっぷりと城内を散策してみてください。
混雑状況を確認できる公式サイトもありますので、こちらもぜひ参考に!
提供・トリップノート
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