仕事・収入・幸福度の相関関係は?
私のベストバランス
仕事が楽しければ、収入が低くても幸せ? 収入が高ければ、忙しくても幸せ? 幸せに働く「ベストバランス」は、意外と分からないもの。そこで、さまざまなキャリアの転機を経験してきた女性たちにインタビュー。仕事・収入・幸福度の相関関係について調べてみました!
今回登場するのは、現在「8割会社員・2割フリーランス」という働き方を実践する天野夏海さん。
人材系企業で営業、編集職を経て、海外留学・ワーキングホリデーへ。帰国後はフリーランスの編集者・ライターとして活動し、今の働き方に辿り着いたという。
「今が一番心地いい」と話す天野さんの、これまでの歩みと年収アップダウン、幸福度の変化について、聞いた。
お金には無頓着だったけれど……「稼げる自分」に自信が湧いた
――新卒で就職されたのは2009年。リーマンショックがあった年ですよね。
はい。かなり厳しい環境で社会人生活をスタートしました。
新卒で入社したのは、人材系企業のキャリアデザインセンターで、当時は転職サイトに求人掲載を案内する営業職としての配属でした。
ただ、リーマンショックによる不景気で人を採用する企業が激減して……。
会社としても経営が危うい状況だったようで、月給は採用時に提示されていた金額から減額され、夏の賞与はゼロ、冬の賞与は……確か1万円だったかな。かなり世知辛い社会人デビューでした(笑)
それに、制作系の職種で内定をもらっていたのですが、配属先も営業に急遽変わったんです。
どうにかして業績を上げようと必死に働きましたが、初年度の収入はワーキングプアギリギリの水準。月々の手取りは、東京で一人暮らしをするには厳しい額だったと思います。
――当初想定していた収入とは異なるスタートだったわけですね。
入社前は、「インセンティブがかなり多い」「新入社員でも比較的いい給料だ」など、景気の良い話を聞いていたので正直ショックでした。
ただ、良い同僚に恵まれたことで、辛いながらも充実感を持って仕事をしていました。社会人としてのベースができたのはこの時期だし、印象深い出来事や楽しい思い出もたくさんあります。
入社3年目には、当時社内で新設されたばかりの派遣事業部に異動。求職者の方と派遣先をマッチングさせる、派遣コーディネーターという仕事を任されました。
すると、ここで比較的業績を上げることができて、インセンティブを獲得。年収は初年度の倍くらいまで跳ね上がりました。
――倍はすごいですね。でも、その2年後には『Woman type』編集部に異動していますよね。これはどうして?
Webマガジンや雑誌の編集は、入社当時からずっとやりたい仕事だったんです。
営業成績は伸ばせましたが、やっぱり本当にやりたいことに挑戦したかった。そんな思いがあったので、収入はそこそこありましたけど幸福度は低かったと思います。
編集部では営業時代ほど目標達成によるインセンティブが発生しないので、異動したら年収が下がることは分かっていました。それでも編集の仕事がしたかったし、お金にそこまで執着していなかったので、部署異動による収入減は気にならなかったんです。
実際、年収にすると異動前より2割くらい減ったんじゃないかな。
――編集部で経験を積んだ後は、会社を退職して海外に留学・ワーキングホリデーに行かれています。やりたい仕事がようやくできるようになったのに、それを手放すのは勇気がいりませんでしたか?
ええ、かなり悩みました。仕事はすごく面白かったし、編集部も好きだったので。
ただ、この時は社会人6年目・28歳で、「このままこの会社で働き続けていいのかな?」と漠然と悩む時期だったんですよね。東京生まれ、東京育ちの私は、あまりに狭い世界しか知らないんじゃないかっていう気持ちもありましたし。
それで、悩んだ末に100万円ちょっとの貯金を握りしめて海外に行くことにしました。
最初の4カ月間はフィリピンで語学学校に通い、その後1年間はオーストラリアに滞在。ワーキングホリデーで現地の日本人向け情報サイトを運営する会社でアルバイトをしていました。
フルタイムで働いてはいましたけど、収入は新卒の頃くらいですね。
――会社を離れて海外で生活、となると、やはりお金の心配もあったのでは?
期間が決まっていたので、心配はありませんでした。
フィリピンは学費・生活費含めて貯金で十分賄える範囲の出費でしたし、オーストラリアでは節約しながらアルバイトで生活費だけ稼げればいいや、という感じで。
ただ、帰国した後がショックで……。
――ショック?
帰国してすぐ銀行の口座残高を確認したのですが、たった2万円しかなかったんです。さすがに震えましたね(笑)。まさかここまで減っているとは、と。
それからは、生きていくために本気で稼がなければ! と思い、自分のSNSに「何でもやります! 仕事ください」って投稿したんですよ。
そうしたら、ありがたいことに前職時代にお付き合いのあった方々からちらほら連絡をいただけて。そのまま業務委託で、いろいろな会社のお手伝いをすることになりました。
仕事内容は、編集、ライティングのお仕事が多くて、前職で編集の仕事を経験していたことが功を奏しました。「うちで仕事しない?」と声を掛けてくれたのも、編集時代に知り合った方がほとんどでしたから。
会社員時代に仕事を頑張っていた自分への通知表が来たみたいでうれしかったですね。ちゃんとやっていれば、見ていてくれる人はいるものだな、と。
――フリーランスの編集、ライターとして働き始めて、収入はどうなりましたか?
実は、年収は過去最高額になりました。会社員時代の2倍くらい。今までお金に無頓着でしたけど、収入が一気に増えた時は素直にうれしかったです。自分の価値を認めてもらえたと感じられたので。
そして、「自分の力でこれだけ稼げる」と知れたことは、ものすごく自信につながりました。
――順調なフリーランス生活だったのに、「会社員8割」の今の働き方へとシフトした理由は?
きっかけはコロナですね。一人暮らしなので、フリーランスの生活が段々と孤独になってしまって。自由度の高い働き方を担保しつつも、組織に属して働いてみようと思いました。
今、籍を置いているのはアルムナイの事業を行うハッカズークというスタートアップ。そこで社員としてオウンドメディア『アルムナビ』の編集長をしつつ、副業でフリーランスの編集・ライターの仕事も続けています。
収入についてはフリーランス一本の時よりも3割くらい下がりました。でも、自分が希望する働き方ができて、仲間ができて、お金とは別に「今欲しいもの」が手に入ったので許容範囲です。