建築家でトランスジェンダーであるサリー楓さんを追った、6月19日公開のドキュメンタリー映画『息子のままで、女子になる』(英題『You Decide』)。女性として踏み出した瞬間をメインとして、彼女の日常をはじめ、心の葛藤、両親や姉との関係が映し出されています。
サリー楓さんのインタビュー前編では、「私たちの日常がいかに普通であるかを知ってもらいたかった」と、日常をさらけ出す映画への出演を決めた思いを話してくれました。今回は社会が求める「女性らしさ」や女性ならではの不自由さについて感じることを聞きました。
コロナ禍で困難になったもの
――今なおコロナ禍のもとでの暮らしが続きますが、サリーさんはどのように感じていますか。
働き方が変わりましたよね。オンラインで仕事を進めるようになってから、世の中で「タスク型」と呼ばれているように、意思決定などのタスクを整理し分担して処理するような仕事の進め方になったと思うんです。いったん自分のやること、相手のやることの間に線引きをして、それぞれが仕事をして最後にオンラインですり合わせる、みたいな。 でも、そうすることによって、人を理解する思考回路や、自分のなかでの物語の組み立て方に分断が起こっているような感じはします。
コロナと暮らす生活になってから、よく見ていたドキュメンタリー番組がものすごく味気ないものになってしまったんですよね。在宅勤務でつくっているのかなって思うくらい、複数の人がそれぞれのノルマをこなしてつなぎ合わせただけで、一本筋が通っていない、CMからCMまでの間の10分ぐらいの動画を寄せ集めただけのような映像だと感じてしまって。 そういった「タスク型」の映像メディアでは、一人の人間を知ることなんてますます困難になると思うんです。
自分がどう生活したいかがそのまま「家」に表れる
――ところで、サリーさんはどうして建築家になろうと思ったのですか?
小さい頃から絵を描くのが好きで、新聞に挟まってるマンションの広告が大好きだったんですよ。「ここは私の部屋」とか想像しながら眺めるのがすごく楽しくて。そのうち、間取りと間取りを合体させて「こんな家に住みたい」と言っていたら、それを見た親が「それは建築家という職業だよ」と教えてくれたんです。小学校2年生、8歳のときでした。 小さい頃は自分の部屋がなくて、一つの部屋を棚などで仕切って姉と使っていました。
基本的に表現をすることに興味があって、小学校の頃は遠足のしおりやポスターなどを描くことが多かったんですよ。媒体(メディア)って、それをつくった人の体(てい)をそのままなすと思うんです。どういう本を書くか、どういう絵を描くか、どういう歌を歌うか、どういうダンスを踊るか、全部その人の意思が表れていますよね。特に建築とか洋服って肌に直接触れるものなので、自分の身体がそのまま大きくなった感覚というか。
服だと、どういう服を着ているか、今日スーツを着ているのは真面目っぽくフォーマル感を表現したいからだとか、黒じゃなくて青なのは堅苦しくならないようにとか、自分をどう見せたいかという意思が反映されると思うんです。 そういった表現の中でも、特にサイクルが長いのが建築だと思っています。特に住宅建築だと、自分がどう生活したいか、どういう未来に生きたいかという考えや気持ちがそのまま「家」に表れていると思うんです。
――どんな建築や場所が好きですか。
肩ひじ張らない建築が好きです。温かみのある木造住宅とか。 モデルルームの建築写真って生活感がないんですよね。マンション広告もピカピカしてキレイな部分しか見せていない。でも、私はむしろ20年、30年使われた後の建築のほうに魅力を感じます。 香水って、つける人の体臭と交わって初めて完成するらしいんです。同じように、家も人が入居したときに完成するものだと思うんです。そんな人間臭さが加わったときに完成するようなモノをつくりたいですね。