――確かに、どこか“○○らしさ”の押しつけが生じているかもしれませんね。
それに、“自分らしさ”って、本当は闘って獲得するものだと思うんです。みんなと一緒はイヤだ、自分はこうなんだと貫いた上で最後まで残った芯のような、身も心も削って削ってそれでも残るものであるはずなのに、“自分らしさ”を見つけるために焦ってしまうような、またそうせざるを得ない風潮を感じます。
私もメディアに出演する際、トランスジェンダーであることやLGBTであることの特殊さを期待されますけど、私の持つ普遍さにはなかなか言及されません。個人的にこの映画はLGBT映画だと思っていなくて、普通の女子が普通の生活を送っていて……で、あなたはどうなんですか? と問いかける作品であると。
ジェンダーに限らず、譲れないものって誰しもが持っていますよね。私にとっての「建築」であるように、人から反対されてもそれでもやるもの、それが自分の本質なのではないかなと。そういう“自分だけの譲れないもの”がいっぱい共存する社会が本当の多様な社会であって、みんなに違いを求めていくのは多様な社会とは言えないと思うんです。
“普通じゃない人”として取り上げられている
――これまでテレビなどのメディアで描かれるジェンダー像に違和感を持つことはありましたか?
あります。トランスジェンダーがメディアにでる場合、その特殊さを売りにした扱いというか、極端に容姿ばかりクローズアップされて、女性よりも女性らしい、みたいな感じで取り上げられがちですよね。その一方で「けど、こういうところは男っぽいよね」みたいな感じで笑いのネタにされたり。総じて“普通じゃない人”として取り上げられている印象は強いです。
LGBTという言葉はここ2、3年で急に浸透した感があるので、最初からLGBTとは何かを説明しなくても伝わるし、より踏み込んだ議論や意見ができるという意味では進んでいると私は思います。けれども、LGBTという言葉がでるたびに「LGBTらしさ」みたいなカテゴライズがされてしまい、そこからはみ出ることをすると「LGBTらしくない」と思われてしまう。たとえば、マイノリティはどこか常に弱者であって欲しい、みたいな思いは感じますね。
――どうやったら「○○らしさ」という決めつけ・押しつけは無くなるのでしょう?
ただ、私もそうですが、他者を理解するときには一度何かのカテゴリーに当てはめないと理解できないと思うんです。「男の人」「女の人」「おじさん」「おばさん」といった具合に。「LGBT」という言葉は確かに浸透しているけど、「男らしさ」「女らしさ」から「LGBTらしさ」にただスライドしただけのような気がします。本当の意味でのジェンダーからの解放はまだ実現していないと私は思います。
――最初の段階としてのカテゴライズは仕方ないとしても、そこから先が大事であると。
そうですね。カテゴリーを越えてどういう人間なのかを知って欲しいし、自分がどういう人間なのか、どういう自分らしさを持っているかは、自分一人で意識するだけでなく、周りも一緒に理解し、一緒に決めていかないといけないと思います。
19日掲載予定の後編では、社会が求める「女性らしさ」や女性ならではの不自由さについて、サリー楓さんが感じることを聞きました。
【サリー楓】 ’93年、京都生まれ、福岡育ち。建築学科卒業後、現在は建築のデザインやコンサルティング、ブランディングからファッションモデルまで多岐にわたって活動。トランスジェンダーの当事者としてLGBTに関する講演会も行う。公式HP
映画『息子のままで、女子になる』制作・監督・撮影・編集/杉岡太樹 出演/サリー楓 Steven Haynes 西村宏堂 JobRainbow 小林博人 西原さつき はるな愛 (C) 2021「息子のままで、女子になる」
<文/中村裕一 写真/林紘輝 ヘアー&メイク/TAYA> ⇒この記者は他にこのような記事を書いています【過去記事の一覧】 中村裕一 Twitter⇒@Yuichitter