ラシク・インタビューvol.83

Forbes JAPAN 副編集長 兼 WEB編集長 / 経済ジャーナリスト 谷本 有香さん

これまで3000人以上の国内外のトップに話を聞いて来た谷本有香さん。日経CNBCの経済ジャーナリストとしての顔でご存知の方も多いと思います。

キャリアの始まりは大学卒業後、山一證券に入社し、一般職として社内の経済キャスターに抜擢されるところから。しかし2年後、あの歴史に残る自主廃業という大事件を社員として経験することに。その後、企業への就職という道を選ばずフリーランスの道へ。5年前に長女を出産した後も第一線で、さらに活躍の場を広げていらっしゃいます。

実は谷本さんはLAXIC編集長・宮﨑が駆け出しの頃、経済専門放送局であるBloomberg TVでお世話になった大先輩だそう。「フリーランスの先輩として、ずっとインタビューしたかった!」とこの度、満を持してお話を伺って来ました。

アンチテーゼで選んだフリーランスへの道 “自分”を評価してもらえる反面ハレーションも……

ネガティブな感情をポジティブに昇華させる!ジャーナリスト谷本有香流「フリーランスで生き抜く力」
(画像=『LAXIC』より引用)

編集部:有香さんは山一證券の廃業から、ずっとフリーランスとして活動されていますね。十数年前「フリーランス」や「業務委託」という働き方は少なかったと思いますが、この形態にこだわってきた理由はなぜですか?

谷本有香さん(以下、敬称略。谷本):やはり山一證券のあの事件がなかったら、私はフリーランスの道を選んでいません。入社2年目の時ですが、ドラマを超えるドラマがありました。そして企業や政府がきっと助けてくれると思っていたのですが、誰も助けてくれなかった。キャリアもなく働き口も失ってしまった私は「企業はあてにできない、自分ひとりの力で生きて行こう」と、アンチテーゼ的にフリーランスの道を選んだのです。リスクを感じさせないぐらいの野望と憎悪に満ちていました。あの時、全てを失ったからこそ、フリーの世界に飛び込めたのです。

編集部:本当に衝撃的でしたものね。山一證券へ入社したのは一般職で?

谷本:社内キャスターという位置付けで一般職でした。あの頃は「女の子はそんなに頑張らなくていいよ」みたいな時代。「自分の実力を試したい!」と思って証券会社に入社したのに、そこも不満で鬱々としていました。常に自分の実力と評価を求めていたので、そういう意味ではフリーランス=渡りに船ですね。自分自身が評価され、常にやりがいを感じられるので。

編集部:その後、山一證券→フリーランスでキャスター→Bloomberg TV→渡米してMBAを取得しに行かれる訳ですが、この向上心が尽きない感じがすごいなぁと。

谷本:向上心ではなく必要に迫られてなんですよ! 二度とああいう形で仕事を失いたくない、明日への仕事につなぐためにはスキルや能力を付加し続けなくてはならない。その一心です。

編集部:そしてMBA取得後、フリーランスでCNBCのキャスターに?

谷本:そうです。フリーでしたが月〜金で一日中いましたので、ほかのお仕事はできませんでした。その頃からパネラーや登壇者としての依頼が少しずつ来るようになったのですが、それがまたハレーションを起こし、後に退社する理由にも繋がるのですが…… 今となっては良い経験です。

編集部:フリーランスでハレーションを経験することは、結構ありますよね。

谷本:本当にあります。今でこそ世間の理解は進みましたけど甘く見られがち。例えばギャラ交渉も自分でしないといけないじゃないですか。アメリカ帰りの時、むちゃくちゃ強気な態度が日本では疎まれ、受け入れられない土壌を知らなかった。日本で活動する上で、プロフェッショナリズムを出しながらも謙遜しなくてはならない、その葛藤はありましたね。

それに当時はまだキャスターという職を誤解している方も多かった。でも私自身が「ジャーナリストです」と名乗り、きちんと結果を出すことで、私に対する位置付けも変わりました。その時に「フリーランスってこういうことだ」と実感しましたね。自分自身でポジションは作って行かなければならいのだ、と。

出産を機に失業。その中で執筆したコラムでブレイクスルー 自分の中での“負” のエネルギーを昇華させるには

編集部:5年前、お子さんを出産されてから、お仕事の幅をさらにグンと広げられましたね。CNBCをやめてからTABILABOでのコラムが話題となり、有香さんのお名前を聞く機会がどんどん増えてきた気がします。

谷本:そうですね。私にとって出産は嬉しい思い出反面、すべての仕事を失った苦しい思い出でもあります。「育児に専念しなよ」とCNBCを不本意ながらも去ることになり、その時も怒りのマグマが蓄積されていました。その中でTABILABOでの執筆は唯一の生きる道でしたし、社会と繋がれる手段で、魂を込めて書いたもの。そこから実は十数社の出版社から出版の依頼をいただけるようになりました。

編集部:でも山一の時といい、妊娠出産の時といい…… 有香さんをみているとそう言うマグマのように煮えたぎった“負”のエネルギーを全く感じさせないのはどうしてなのでしょう?

谷本:イヤなことがあってもエネルギーとして良い部分を残しつつ、負の部分を建設的に効率的に昇華するすべを会得したのかもしれませんね。CNBC時代に、とにかくインタビュアーとして、突っ込み攻めまくる時期がありました。面白いからといって怒りにかまけていた時は、視聴者からもクレームがあったし自分でも見ていて見苦しかった。そういう変なハレーションを起こしているならばそこは削ぎ落とそう、と気づいたのです。

編集部:そういう意味では、ワーママも負の怒りを抱くことが多く…… 建設的になれなくて悩んでいる人も多いのですが。

谷本:全てのイノベーションって人の困ったことやイヤだなって思うことに、ソリューションを提供することで生まれるじゃないですか。絶対に何かの糧になるので、全ては負から生まれる。では、どんな解決策があったかな?と、マイナスを補うってことで昇華させる。不満だけ終わるのでなく「こうすればよかったね」と自分たちでアプローチを考えるだけで脳は救われるそうなんです。

編集部:おしゃべりするだけでストレス発散にもなるのですが、よりプラスに昇華できたら良いですよね。

谷本:陽の人たちと接していると前向きになれますよね。そういう人の本を読んだり、接する人たちを変えるだけでも随分変わります。陰の要素だけだと、なんの解決にもならないし余計に疲れちゃう。

介護と育児、さらにMBA取得……!?固定観念から自分を解き放った時、生きるのがラクに

ネガティブな感情をポジティブに昇華させる!ジャーナリスト谷本有香流「フリーランスで生き抜く力」
(画像=『LAXIC』より引用)

編集部:お子さんが生まれて1歳の頃、北京大学にMBAを取得に行かれていますね。それはどうやって乗り切られたのですか?

谷本:これは意外と簡単で、エグゼブティブMBAっていうのは月に1回・週末だけ集中して勉強すればいいので、主人に預けて難なくできました。

編集部:しかもその同時期、お母さんの介護もされていたとか?

谷本:そうなのです。その前から重篤な介護をしていました。過去に介護の取材をしてきた時に、みんなその状況が苦しくて自分をなくしてしまう、それを知っていたので、介護と育児も両立できるロールモデルになって、可能だということを立証したいと思ったのです。

編集部:ここでも介護や育児の問題を昇華しているのですね。

谷本:本当に心底疲れて果てて、消えて無くなりたいと思う時期もあったのです。その時「強い私がこんなにしんどいなら、みんなはもっとしんどいはず」とジャーナリストとしての視点を持ち直した時に、すごく元気になれたのです。心理学的に言う「逃避」でしょうね、すごく救われました。

あと『何かやってはいけない、という考え方はしなくていい』ということに気づけたのが大きいですね。固定観念に縛られているのは自分自身で、解き放ってからは生きるのがラクになりました。こういう輪をもっと広げて行けたらなと。今後も伝えることを軸にしながら、ジャーナリストだからこそ120%やっていかなくてはならない。ライフワークとして発信し、自分自身が一つの媒体になれたらいいなぁと。