ラシク・インタビューvol.49

荒川 あゆみさん

今回のラシク・インタビューは広告会社で勤務した後、妊娠・出産を経てキャリアチェンジを決断し、午前中は専門学校で鍼灸を学び、午後は元プロ陸上選手の為末大さんが代表を務める会社(株式会社侍)で働く荒川あゆみさんのストーリー。育休中にキャリアチェンジを決断した背景から、現在の学業と仕事と子育てのパラレル生活のこと、今後の展望についてお伺いしました。

農業分野を大学院で学んだあと広告業界へ 「大事なこと」や「いいもの」をもっと人に知って欲しいと思った

出産を経て、広告業界から鍼灸の世界へ「人が健康であること」をサポートしたい!学業と仕事のデュアル生活を送るワーママ
(画像=荒川あゆみさんと娘さん、『LAXIC』より引用)

ラシク編集長 宮﨑(以下、宮﨑):大学時代は農学部に所属していらっしゃったと伺いました。その後、仕事として広告の分野を選んだのはなぜですか?

荒川さん(以下、敬称略 荒川):私の学生時代は、学業や研究に勤しむ生活というよりは、友人と小さな会社をつくってみたり、学生会議で海外に行ったり、学生団体を立ち上げたりと、それ以外のことにバタバタと忙しい生活を送っていました。 当時、国際協力や環境保全などの社会課題に対して活動をしている学生団体が集まる会議の事務局をしていたのですが、その活動を通して、世の中にはさまざまな問題・課題があり、一生懸命取り組んでいる人たちがたくさんいるけれども、それってあまり知られてないな、と思ったのです。

そこで感じたのは、当たり前のことなのですが、「大事なことだから、みんなが知っているというわけではない」という事実でした。ではその「大事なこと」や、それに「取り組んでいる人たち」のことを、どうやったら多くの人に知ってもらうことができるんだろうと考えた時に、出てきたのがメディア・広告という道でした。

大学院では、農業分野でのICTの活用、特に農地のリアルタイム情報をどう活かすかについての研究をしていました。農地の情報を農作物の栽培に活かすことはもちろんですが、その情報を消費者まで届けるにはどうするか、その情報にニーズはあるか、などをテーマとしていたので、それが広告やマーケティングへの興味に繋がっていきました。

宮﨑:その後、広告会社で5年ほど勤務されるわけですね。実際、妊娠するまではどのように働いていたのでしょうか。

荒川:入社当初から中央省庁の広報や広告を扱う部署で働いておりまして、学生時代からの関心に比較的近いことを担当していました。忙しいし長時間勤務ではありましたが、面白さも感じていたのです。そんな時に起こったのが東日本大震災でした。会社からは自宅待機するようにとの連絡があった中で、私が担当していたプロジェクトは止まることもなく、余震で揺れ続ける、ほとんど人がいない薄暗いオフィスで企画書を書いていました。その時に「自分はこのままでいいんだろうか?」と思ったのは事実です。次を考えようかとおぼろげに考えていた、2012年の春頃の健康診断で自分が若年性の緑内障であることが分かったのです。再検査をしてみたところ、既にかなり進行していて、これから10年は大丈夫だけれども、2?30年後には目が見えなくなっている可能性もあるという話でした。

診断を受けた時はやはりショックでした。緑内障は珍しい病気ではありませんが、薬で進行を遅くすることは出来ても、現時点では治療法はありません。目が見えなくなったら、もうこの仕事は出来ない…そこから、「目が見えなくなってもできる仕事」を考えはじめたのです。そうやって浮かんできたのが「鍼灸」の仕事でした。

私は小さい頃に大きな病気して、東洋医学の先生にお世話になったんですね。実は高校3年生くらいまで医学部に行こうと思っていたんですが、その時も探していたのは東洋医学が勉強できる大学でした。今改めて振り返ると、昔から「東洋医学」が気になっていたんです(笑)。

結局、当時進路について深く考えた時にたどり着いた答えが、私は「病気」に興味があるわけではないということでした。それよりも「人が健康でいること」に興味があったのです。それに気づき、医学部には進学しませんでした。 自分の目の病気をきっかけに、もともと持っていた気持ちが出てきたのかもしれません。それからずっと「学校に行って鍼灸の資格を取ろう」と思っていました。

そんな気持ちもあったので、会社にはもう辞めますと伝えたことがあったのですが、その時に、「もう少しゆっくり考えてみたら」と別の部署への異動を勧められたんです。異動してみたら以前よりもゆとりが生まれるようになって、この生活なら働きながら学校に通って資格を取ることもできるかもしれないと考え始めた頃、妊娠が分かったんです。

子どもを預けて学校に行くなら納得できる道を 鍼灸の学校と仕事のデュアル生活をスタート

出産を経て、広告業界から鍼灸の世界へ「人が健康であること」をサポートしたい!学業と仕事のデュアル生活を送るワーママ
(画像=子どもと共に参加した会社での田植えツアーの様子、『LAXIC』より引用)

宮﨑:そのまま産休・育休を取得され、出産後に「キャリアを変えるのは今」と思ったのはどんな理由からですか?

荒川:まず、子どもがいながら学校で勉強できるタイミングはいつだろうと考えたんです。鍼灸の専門学校には夜間部と昼間部があって、卒業まで3年かかります。夜間部に行けるのは子どもが成長して…20年くらい後かもしれない。現実的なのは昼間部ですが、3年間も育休延長することはできないし、そもそも育休のままでは子どもを保育園に入れることもできません。 やっぱり今は学校に行くタイミングではないのかもしれない。でも、子どもが大きくなるのには時間がかかり、年々病気は進行していく…。とりあえず入学試験だけは受けておこうと、産後1か月の時に試験と面接を受けました。その年の学費の振り込み期限まで、ゆっくり考えればいいと思ったのです。

宮﨑:学校に行くか行かないか考えている時に、育休プチMBA や ママボノ に参加されたと。ママボノでも、参加者の皆さんと「働く」ことについてすごく議論したと伺いました。

荒川:学校に行くにしても、復職するにしても、子育てとの両立になるので、働きながら子育てをしていこうと考えている人たちと触れ合って情報収集をしたかったんです。育休プチMBAやママボノの参加者の中には2人目の育休中の人もいて「子どもを預けてまでやりたい仕事かどうかを、すごく考えた」「人生で何年もない育児期間に仕事をするなら納得してやりたい」「この仕事でいいんだろうか?と迷いを抱えながらやるのは苦しい」とおっしゃっていました。

子どもを預けてまでして取り組むならば、自分が納得できることを、本当に必要なことをやりたいと強く思い、なんとなく会社に戻って、なんとなく時短で働く…という気にはなれませんでした。専門学校に学費を振り込み、前職には退職の連絡をしました。2015年4月から学校と新しい仕事、という生活を歩むことに決めたのです。