想像してみてください。
あたなは、恋人とオシャレなレストランにランチに行きました。 あなた(男性とします)はピザを注文し、恋人(女性:彼女とします)はパスタを注文しました。
しばらくして、彼女のパスタが運ばれてきましたが、そのパスタに、髪の毛が1本入っていました。
さて、あなたはどのように対応しますか?
さて、冒頭の問題に答える前に、違うシチュエーションを考えてみましょう。
電車での席の譲りかた
あなたは電車に乗っています(優先席ではない)。 そこそこ混んでおり、座席は全て埋まっています。
そこで、途中駅から見た目70歳くらいのおばあちゃんが乗ってきて、あなたの席の近くに立ちました。
さて、あなたはどうしますか?
<一般的な模範解答>
「おばあちゃん、席どうぞ」と言って譲る
こんな、優しい人も多いのではないでしょうか。
この行動、もちろん間違ってないですし、素晴らしい行動なのですが、、 しかし、本当に「最善」の行動なのでしょうか?
「席どうぞ」と言って譲るのは、少なくとも、下記の2つのリスクがあります。
<リスク1>
おばあちゃんが見た目ほど年を取っていない場合はすごく失礼
個人的に70歳くらいに見えても、実は50歳かもしれません。自分のことを「おばあちゃん」と認識していない人に、「おばあちゃん、席どうぞ」と言って席を譲るのは、すごく失礼な行為です。「老けてるよ」と言っているのと同じなので・・・。
かといって、年齢を聞くのはもっと失礼です。 「おばあちゃん、何歳ですか?え?50歳!?70歳かと思った・・・見た目以上に若いんですね。じゃあ譲るのやめます、立っていなさい」と言ってる人を見かけたら、車掌さんに通報しましょう。
<リスク2>
自分の席の隣の人が気まずくなる
おばあちゃんが自分の席の近くに来て、席を譲ったほうがいいかな?どうしようかなー?と声を掛けるかどうか迷っているうちに、隣の席の人に先を越された場合、自分が薄情者みたいな感じになってちょっと気まずくなった、という経験がある人もいるのではないでしょうか。それと同じ感じです。自分が先に譲ってしまうと、隣の人を気まずくさせてしまう可能性があります!
これらのリスクを回避できる行動(最善の行動?)
・おばあちゃんが近くに乗り込んで来たのを確認するやいなや、黙って席を立ち、この駅で降りるふりして電車から降り、隣の車両からまたこっそり乗り込む
がよいのではないかと考えています。 (もっと良い案あったら教えてください>_<)
この行動では、おばあちゃん以外の人に席を座られてしまうリスクが新たに出てきますが、まあその可能性はきっと低いですし、「席どうぞ」と言って譲るより全体の幸せに貢献できるような気がします。
ただ、この行動には、スピードが必要です。
おばあちゃんが乗ってきてから、「どうするのが最善か?」と考え始めては、考えている間に電車が駅から出発してしまって、自分が降りて隣の車両に乗り換えることができず、上記の最善?と思われる行動ができません。
人生は、選択と実行で決まる
人生は、あらゆる選択肢から「選択」して、それを実際に「実行」することの連続です。
今日何するか、これから何を考えるか、部活は何するか、バイト何するか、どの高校・大学に行くか、晩ご飯何食べるか・・・などなど、人は、人生において、また1日の中だけでも、数多くの選択をしています。
どの選択が正しいのか、すぐには分からないことがほとんどです。 そんな、あらゆる選択肢から選択するのは、決断力が必要です。
そして、選択したことを実際に行動に起こすのが、実行です。 実行するには、結構なエネルギーと勇気が必要で、ひっくるめると「行動力」が必要と言えます。
上記の電車の例など、決断と行動までにスピードが求められることが世の中結構あります。
そして、正しい選択(決断)とスピーディーな行動ができるかどうかで、他人から、その人の「人間力(器の大きさ)」を判断されてしまうこともしばしばあります。すごく優しくて良い人でも、不測の事態に陥ったときに、決断力と行動力を発揮できなければ、「頼りない」と思われてしまうことでしょう。
事前にあらゆる可能性を考えておく
スピーディーに、より良い「選択」をし、決断力をアップさせるには、事前に考えておけばよいのです。
将棋の棋士が何十手先を読むのと同じように、「こうなったらこうする」と、あらゆるシチュエーションで事前に考えておくことができれば、スムーズに選択と実行ができ、ある意味、思い通りの人生を歩めます。
年を重ねるにつれて、堂々として余裕のある振る舞いができるのは、年を重ねるに連れ、いろんな経験値が増えるからです。経験により、「こうすればよかった」と考えることが増えるので、次に同じシチュエーションになったときに、スムーズにより良い行動ができるようになります。 だからこそ、考えること=想像の中で経験すること、が大切なのです。
こんなことを考えていると、一昔前に、「想定の範囲内です」と、ホリエモンがよく言っていたのを思い出します。「想定の範囲内」という響き、私はすごく好きです。当時は、「いやいや絶対想定してなかったでしょ」と思ったものですが。。 何が起こっても「想定の範囲内」と言うと、なんか堂々としてる雰囲気を醸し出せます。
ただ、当然ですが、すべての可能性を事前に考えることは不可能です。 (例えば、今、UFOが目の前に墜落して宇宙人が出てきて、自分に意味不明な言葉を掛けられた場合どのように対応すべきか?など、普通考えません)
だからこそ、「何について考えるか」を「選択」することが、また大事になってきます。