ラシク・インタビューvol.93

津田塾大学客員教授 村木 厚子さん

村木厚子さんが厚生労働省に就職された時、新たに省庁に入った約800人のうち女性はたったの22人。いわゆるキャリアと呼ばれる女性は5人しかいなかったそう。育休制度もまだ存在しなかった時代に、生涯ずっと働き続けたいという思いを胸に、育児と仕事を両立させてきたワーママの大先輩です。

子どもは欲しい、でも仕事もしっかりこなしてキャリアも積んでいきたい、そう願う女性は多いはず。

2人の娘さんを育てながらも、厚生労働省事務次官までお務めになった村木厚子さんに「キャリアの両立」で悩むLAXIC学生編集部がお話を伺ってきました。

「生涯働き続けよう」と決意してキャリアをスタート

悩む女子大生がバリキャリの大先輩ワーママ・村木厚子さんに聞く「出産と育児、どの程度考えとくといいんだろう……」
(画像=『LAXIC』より引用)

編集部:村木さんは、大学生の頃から「生涯働き続けたい」と思っていたそうですが、今よりずっと女性の社会進出が難しい時代に、そういった思いを抱くようになったのはどうしてでしょうか?

村木 厚子さん(以下、敬称略。村木):憧れの高校に入った直後に父親が失業してしまったんです。その後、社会労務士の資格を取得して開業し、無理して大学に通わせてくれたのですが、その一連の出来事を通して、「きちんとした収入があって自立して生きていけるということがいかに大切であるか」ということを肌で感じたのです。

若いころからお金のないことの大変さを経験していたからこそ、誰かに委ねず、最低限、自分自身が生きていけるようになろう!という気持ちが根底にありました。そういった想いから、当時、一生女性が安定して働き続けることが出来る職種であった公務員の仕事に就こうと考えました。

編集部:キャリアをスタートして仕事をする中で困難に直面し、自信を無くしてしまったことはあるのでしょうか? また、それをどのように乗り越えましたか?

村木:困難に直面したことも、自信を無くしたこともたくさんあります。中央官庁に入った時、省庁の約 800 人に対して女性が 22 人で、キャリア官僚は更に5人でした。私は労働省に入省しましたが、仕事は体力勝負で、最初は何をやっているのか、どんなことにつながるのかが見えず、出来の悪い職員だったなと思います。

仕事を10年続けたころ、島根で管理職を任されました。そのくらいの頃から少し階段を上れたような感覚がありました。管理職なので、人に説明したり指示をする立場に変わり、そのことが自分を大きく変えてくれたと思います。

自分と相手の理解の間にギャップがあったり、代表の立場で県民に説明することは難しく、自信を無くすこともありました。ただその中で、説明が分かりやすいと言っていただけるようになったり、企画したものが成功したり、仕事の成果が答えとして返ってくると責任者としての自覚も生まれ、非常にやりがいを感じましたね。

ただ、仕事の能力が上がり、責任も大きくなるにつれて、子育てとの両立がむずかしくなる場面も出てきて、思い切り仕事ができないというジレンマを感じることもありました。

仕事をしながらの出産・育児は考え過ぎなくてもいい。ただ、出産の適齢期は知っておくべき

悩む女子大生がバリキャリの大先輩ワーママ・村木厚子さんに聞く「出産と育児、どの程度考えとくといいんだろう……」
(画像=『LAXIC』より引用)

編集部:大学生のうちから仕事をしながらの出産、育児について考えておくことは大切だと思いますが、あまり考え過ぎても意味がないのかもしれないと感じることがあります。どの程度までライフプランを考えておくのがよいのでしょうか?

村木:私はいつも後輩にあまり考えないでいいよと言います。私は幼い頃からかなりの対人恐怖症だったのですが、仕事を続けていくうちに、「営業上手ですよね」「人脈広いですよね」「説明上手ですよね」と言われるようにまで進歩出来ました。10代?20代ならまだ自分の知らない自分はたくさんいます。例えば、自分の入る会社もどんなに詳しく調べても全てが分かるわけじゃない。だから最後はえいやっ! と決断しないと就職先は選べないし、ましてや結婚と出産はもっと分からないですよね。いつ相手に巡り会うか分からないし、出産は思い通りにいかない人も多い。だから考えておかなければいけないことはせいぜい、自分が何に興味があって、何がやってみたいかくらい。

もう一つは、年を取ると出産しにくくなるということ。結婚に適齢期は無いけれど、出産は明らかに適齢期があります。でも、私は子どもをもって後悔している人を見たことがないので、そういう意味でいえば子どもをもちたいと思ったら産めるときに産むのも一つの道だと思います。