表参道にあるベーカリーカフェ「パンとエスプレッソと」。高級食パンの「ムー」の大ヒットで若い女性に大人気となりました。その「パンとエスプレッソ」の姉妹店「ぱんとえすぷれっそと」が2021年3月1日、東京・蒲田の牧田総合病院1Fにグランドオープン!
今回は、人気カベーカリーカフェを次々と手掛ける、株式会社日と々と・代表取締役の山本拓三さんに「パンとエスプレッソと」の未来について伺いました。
山本拓三 Takuzo Yamamoto
株式会社日と々と 代表取締役
1977年 大阪府堺市生まれ。大学卒業後、商社に就職し、経理部に配属される。経理マンからスタートし、3年後の転職先では、経理部門のトップになる。社長をサポートしながら、さまざまなM&Aなども主導する。会社は株式上場も果たしたがリーマン・ショックを受け、業績悪化。不動産事業を行う子会社をバイアウトし、のちに社長就任。いったん会社を手放すも、再度、買い取り株式会社日と々とを設立。「パンとエスプレッソと」を中心に展開している。
新しい食パン「ムー(mou)」が大ヒット。高級食パンの先駆けに
──「パンとエスプレッソと」を運営されている、「日と々と」の事業展開について教えてください。
「パンとエスプレッソと」は、「日本人に合った日本のバール」をめざして2009年にオープンしたベーカリーカフェです。1号店が東京都渋谷区(表参道)にあり、他にも神奈川県に1店舗。大阪府に2店舗。京都府に2店舗。福岡県に1店舗あります。また他にも、「フツウニフルウツ」(神奈川県と大阪府)、「しロといロいロ」(東京都)、「ぐるぐるべゑぐる」(神奈川県)、「むうや」(東京都)、「本日の」(京都府)、「和レ和レ和」(大阪府)があり、ここ(東京・蒲田「牧田総合病院1F」)を含めると直営店は全部で15店舗あります。
──もともとは飲食業とは違うお仕事だったのだとか。
そうです。不動産会社に勤めていました。建物とか建築、インテリア、内装系が好きでした。私自身は経理だったので、直接、不動産や内装に関わっていたわけではありませんけどね。そこで始めた飲食店事業を買い取って、2017年に「日と々と」を設立しました。
──パン職人と出会って飲食店を始めることになったと聞いています。
きっかけは、知り合ったパン職人の櫻井正二氏が作る食パンが美味しく、斬新だったことです。味わったことのない食パンだったので、「これはビジネスとして流行るんじゃないかな」という感覚がありました。それで、当時勤めていた不動産会社に飲食店事業部を作り2008年、日本橋三越本店に「ミディアミディ(midi a midi)」という店舗を出しました。
──そこで成功したんですね。
それがぜんぜんダメで、1年持たずに半年で撤退。大赤字です(笑)。でも、機材をリースで借りていたので仕方なく、今の表参道に移して2009年から営業を始めました。
──別の場所で始めたのは、「この味だったら絶対に売れる」という自信があったから?
それはありましたね。とにかくその食パンは新しかったんです。他にはなかったので売れると思いました。日本橋三越本店は言い方は悪いですが、年配の方が多く、若者が買いに来なかったんです。表参道に移転したのはたまたま空いていた、というのが本当の理由ですが、若者の街なので当たればお客は来るという読みはありました。まず、食パンで作ったフレンチトーストがバズったんです。テレビでも紹介してもらい、人気になりました。
バズった理由のひとつが、「ムー(mou)」とネーミングしたことだと考えています。キューブ型の四角い食パンです。今では名前の付いた食パンは当たり前のようにありますが、当時はネーミングした食パンはありませんでした。それに店名も英語ばっかり。カタカナの「パンとエスプレッソと」のネーミングも良かったのだと思います。
ちなみに「ムー(mou)」は「柔らかい」という意味です。当時、パンの名前はフランス語で統一してました。
──しかし、ネーミングが良かったといってもパンに魅力がないと売れないと思います。
やはり、「ムー(mou)」が斬新だったからだと思います。今は水分量120%の高加水食パンが流行っていますが、弊社の商品は10年ほど前に作ったもの。先駆けだと自負しています。また、同じ商品を作り続けるのではなく、グルテンフリーフリーのパンや低糖質のパンの商品開発をするなど進化させています。
自分たちが作った商品は、多くの人に食べて欲しいですからね。同じ商品だと飽きるので進化させています。
子どもに向けた新店舗「ぱんとえすぷれっそと」が2021年3月1日にオープン予定!
──この店舗(東京・蒲田「牧田総合病院1F」)は可愛い内装ですね。
子ども向けにしてあります。なので「ぱんとえすぷれっそと」とひらがななんです。子連れでお見舞いに来た時に気軽に寄ってもらえるお店がコンセプトです。
最初、病院からお声をかけて頂いた時点で面白いと思いました。病院は、出したくても出せる場所ではありません。通常、声がかかるのは大手のカフェチェーンばかり。チャンスだと思いましたね。病院にある店舗なので置くパンも健康食にしようかと考えたのですが、それでは味気ないイメージがあると思い、あまりこだわらず、美味しいパンを並べることにしました。
コロナになって病院に行きづらくなったので、少し方向転換をした部分もあります。それは、パンを自分でトングで取ってレジに行くのではなく、ディスプレイにカードを置いて、そのカードをレジに渡してもらうことでパンを提供するスタイルにしたことです。
やはり子どもはいろいろ触ったりもするだろうし、よくしゃべるので飛沫も避けられません。しかも、場所が病院なので絶対に感染は避けなければいけませんでした。
この方式は別の店舗でやろうと考えていたものです。そのときは、オペレーションが複雑になるし、お客さんに説明するのも難しいということで中止しました。でも今のコロナ禍ではその方がいいだろうとなってそのアイディアを復活せることにしたんです。
──では、このスタイルはコロナが終わると変更するのですか?
その時に合わせていけばいいと思っています。私自身、コロナが続いて欲しくはないですしね。
──コロナの時代に合わせたスタイルなんですね。
そうです。コロナでも売れないと面白くないから、どうすれば売れるかをいつも考えています。
例えば、グリテンフリーのパンを保育所とコラボして給食として提供することも考えて動いているところです。アレルギーを持っている子どもも多く、小麦粉が食べれない子は多いんです。
この店舗は病院なので、グリテンフリーのパンをアピールして行こうと考えています。それでヒットしたらブランド化することを考えています。「パンとエスプレッソと」のメインは20代の女性なので、一部の店舗で上の層を狙い、この店舗で子どもと、80代、90代の高齢者をターゲットにできればと考えています。
──全部の世代を網羅するのですね。
そう考えていますね。
コロナはいずれ収束する。今頑張っている会社が生き残って行く
──「パンとエスプレッソと」は、全国にありますが、すべて同じなのですか?
店舗ごとに内装を総て変え、かつパンの種類も違いがあります。例えば大阪の南森町交差点にある店舗「パンとエスプレッソ」は、プレミアホテル-CABIN-大阪とのコラボなので贅沢な内装にし、若い層を狙ったパンを揃えています。逆に京都丸太町エリアにオープンした「本日の」では、京町家をリノベーションした店舗となっており、30代から50代の女性に向けたパンを置いています。
また、「パンとエスプレッソと」といえば、若い女の子たちが写真を撮ってインスタグラムに投稿しているというイメージがあると思うのですが、それだと年配の女性は近づきにくい。なので、東京・墨田区の「むうや」は年配の方でも来やすいようにわざと店名を変えています。
──ユニークですね。
私は「物件ありき」なんです。場所と立地を見て「こんな店舗をやりたいな」と考えます。それは元が不動産なのが関係しているかもしれません(笑)。
今は、東京都港区にある「フツウニフルウツ」は最初、代官山でオープンしました。そこは駐車場の管理人室のような場所でした。絶対に誰も借りないないだろうという場所が面白かったんです。
※現在は、下北沢、鎌倉、大阪で展開中。
──時代や場所、立地を考えて戦略を立てて、成功続きですね。
そんなことはありません。失敗したお店も多いんですよ。ハンバーガー屋とか、サンドウィッチ屋とか、いくつも潰しています。webサイトで閉店したことも告げず……。閉店しても、もともと人気がなかったのですから、誰も気にしていません。インスタとwebサイトを削除してなかったことにします(笑)。
──前向きですね! その判断はどのようにするのですか?
ダメだと思ったときは半年くらいで見切りをつけます。やっている途中でダメだと気付きますからね。でもダメだと思っても続けて行くうちに良くなることもあります。とはいえ、何をやってもダメだとわかるところは潰します。
直近では虎ノ門にサンドウィッチ屋を出しましたがダメでした。虎ノ門は所得の高いビジネスマンが多いと考えたんですが、所得は高くても毎日の食費は安く抑えたいと考えるようだし、時間がないからコーヒーを飲んでサンドウィッチをゆっくり食べることができないんです。ニーズがあっていなかったんです。そのことは近くのラーメン屋が流行っていることでわかりました。ささっと食べてさっと帰れるのが受ける場所だったんです。
──コロナの影響でお店を閉めたり、オープンを控えることが多いのに、新規の店舗をオープンさせたり積極的に採用されていますね。
もちろん、弊社も売り上げは落ちています。緊急事態宣言が発令されたとき、たまたまオンラインショップをスタートしたんです。タイミングが良かったこともあり爆発的に売れました。その頃はサーバーが何度もダウンするほどの大人気で……。
おかげで会社を畳まなくて済んだというのが正直なところです。普通は、オンラインショップをスタートしたいと思っても直ぐにできるものではありません。でも我々はグッズを販売していたので、それをパンに変えるだけ。比較的、スムーズにできました。その点は、他社と比べると恵まれていると思います。
売上としてはあまり芳しくはありませんが、コロナもいずれかは収束します。今、頑張っている会社がアフターコロナで残って行くと思っています。