ビートたけし、「フライデー襲撃事件」釈放後に会見

 なお、たけしといえば、1986年の「フライデー襲撃事件」の釈放後、すぐに記者会見を実施。

 同事件は、「フライデー」(講談社)の契約記者が取材中、当時たけしの愛人だった専門学校生に全治2週間のケガを負わせたため、激怒したたけしが弟子11人を連れてフライデー編集部に乗り込み、編集部員らに傷害を負わせたもの。

 現行犯逮捕されたたけしは、釈放後の会見で「暴力を使ったり、たけし軍団というのを一緒に連れて行ったことに関しては、非常に反省しております。しかし、自分の大切なものを守るということは、それは誰にでも権利があるということで、過剰防衛になったと言われればそれまでですけども、もっと暴力以外に具体的に対抗する手段がないのかと言われたら、まあ、お聞かせ願いたい」などと淡々と語り、その気迫から当時「史上最強の記者会見」とも言われていた。

 加えて、94年に原付バイクで事故を起こし、酒気帯び運転により書類送検・起訴猶予処分を受けた際にも、退院後に顔面が麻痺した状態で会見を行い、「顔面麻痺が治らなかったら芸名を“顔面マヒナスターズ”にしますから」などと事故をネタに笑いを取っていた。

 このほかにも積極的に会見を開いてきた印象のたけし。ただ、近年はネットの普及もあり、「記者会見を開くと、世間のおもちゃにされる」「やり方を考え直すべき」との意見もあるため、松本も何か思うところがあるのかもしれない。