問題の本質が見えてきました。

 綿密な取材でお馴染みの『おむすび』ですから、ギャルにも取材したんでしょうね。そこで「真剣にギャルやってる」という、おじさんたちにとっては非常にキャッチーな、聞いたこともない哲学に触れることになった。これを『おむすび』に取り入れたくて、まずはみりちゃむというホンモノのギャルに言わせてみる。これはしっくりくるじゃないか。結にも「真剣にギャルやってる」という哲学を背負わせたい。そう考えるのは自然です。

 しかし、何しろおじさんたちは「真剣」と「ギャル」が両立するだなんて考えたこともなかったので、具体的に「真剣にギャルやってる」というのがどういう状態なのか、見当もつかなかった。ただ、「真剣」と「ギャル」が両立するという具体例を取材で見たから、それは両立させてもいいものだと考えた。

 その結果、おじさんたちの中にあった既存の軽薄な「ギャル像」を「真剣」が求められる場面に挿入することしかできなかった。そうして結が真剣であるべき場面が、ただシンプルに「真剣じゃないね」と映ってしまうことになった。

 そういうことなんじゃないのかね。

 もともとギャルをバカにしていた連中が、ろくにギャルを理解しようともせずに上辺だけなぞった結果なんじゃないのかね。

 ちょっとまぁ、今日は話が飛躍してる部分もあると思うけど、そういうドラマが毎朝放送されているとなると、これはひどい話だよな。まるで、悪い夢のよう。

いいところも言っておく

 それぞれの地域のお雑煮を交換して食べるところ、すごくよかったと思います。料理を扱う栄養士のドラマとして、めちゃくちゃ魅力的なシーンでした。本当においしそうだし、「食」が確かに両家をつないでいたと思う。

 ギャルを切り離すと、けっこういいシーンもあるんです。結パパが翔也の髪を切るところもよかったし、今週の翔也が野球部を連れてくるくだりだって、設定と話の進め方とディテールがクソすぎるだけで、やろうとしていることは悪くなかった。だから、『おむすび』を愚作だ駄作だと切り捨てる気はないんです。たぶん、結からもギャルを切り離せば、今週の翔也みたいに、何かを成し遂げるために必死に駆け回る姿が見られるんだと思う。そうやって心と体に汗をかいてがんばる主人公が見たいんだけど、ギャル要素が結という人物の情熱や信念を描く上での明らかな弊害になっている。