これ、もう終わってるカップルの描写なんですよね。相手の考えていることに興味がない。かと思えば「プロポーズされたい」という欲望だけは持っている。

 呼び出されて行ってみたら、プロポーズじゃなかったことにショックを受ける。自信を失った彼氏に別れを切り出されれば腹を立てて置き去りにする。

「野球ができなくたって、翔也は翔也じゃん!」くらい言ってみろって話です。もう一度言うけど、「主人公が恋人を愛している」という、そんな当たり前のことさえ表現できなくなっている。

 結果、アユの策略によって自我を取り戻した翔也と結は結婚の約束をするわけですが、結が翔也を好きになったのは自分の震災の話を聞いて涙を流してくれたからだという。もう一度言うけど、だったら「野球ができなくたって、翔也は翔也じゃん!」くらい言ってみろって話なんだよ。

 ずっと優しくないんだよな、この人。その理由を考えます。

「ギャル魂」の呪縛と「主体を外部に置く」ということ

 その前に、ちょっと別の話をします。翔也が、なぜ医者に行かなかったかの話です。

 結論から言うと、『おむすび』において翔也は独力で困難を乗り越えてはいけない人だからです。どうしても「ギャル魂」によって回復を見なければいけない。「ギャル魂」こそがこの天下を統べる唯一絶対のスーパーパワーなのであって、「ギャル魂」以外が主人公周辺のピンチを救ってはいけないという縛りが存在しているのです。企画のコンセプト上、そういうことになってしまっている。がんじがらめです。

 しかし、いくら万能な「ギャル魂」とはいえ右肩関節唇損傷や腱板損傷を治癒させることはできないし、翔也をメジャーリーガーにさせてやることもできない。だから翔也は野球をやめなければならない。そうしないと「ギャル魂」が発揮される場がなくなってしまう。そうした物語の外部からの強い要請によって、翔也は医者に足を運ぶことができなくなってしまっていたのです。