ごく限られた体験を描いた、実は普遍的な物語
「宝くじで高額当選したのに一文なしに」自体はごく限られた人間だけが体験する出来事であるのだが、本作から得られる教訓は「出会いや親切のありがたさを思い知る」「どんなに落ちぶれたとしても、誰かに助けられる機会はあるし、その機会を誰かに与えるべき」といった、なんとも真っ当かつ普遍的なものとも言えるものだ。
そして、何もかも間違ってきた、いや、間違いをわかっているのに繰り返してしまった主人公を描いてきたからこその、彼女が“今”のありがたみと幸運に気づく様、そしてクライマックスからラストにかけての感動がある。もちろんネタバレになるので詳細は秘密にしておくが、「ダメダメな主人公を安易に成長させすぎない」「最後まで甘やかさない」物語としても秀逸だったことを告げておこう。
「母への視線」が投影されていた
本作でもうひとつ重要なのは、これが“母親”の物語であるということだろう。宝くじで高額当選した時にはまだ13歳だった息子に対しても、彼女は間違い続けていたからだ。
脚本を務めたライアン・ビナコは「母親へのラブレター」として書いていたとも語っている。さらに、マイケル・モリス監督はその脚本について「11歳くらいのとき、顔を上げると、見たこともないような母の深い悲しみを見た瞬間を覚えている」「あれは何だった?一瞬顔を覆って涙を止めた手?でも、その瞬間、彼女は私の母以外のものになった。彼女はキャラクターとなり、私たちの人生は映画となった」などと、自身の幼い頃の「母への視線」が映画に投影されたと窺い知れる言葉も投げかけている。
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