“ずるさ”には共感できる

 そんなクズな主人公に、孤独だが優しいモーテル従業員が仕事を紹介してくれるという流れだけを聞くと、ご都合主義的または甘やかすような作劇だと思う方もいるだろう。しかし、そんなことはまったくない。彼女はその後も不遜で間違った言動をし続けるし、あぶく銭を手にした過去と決別し“働く”というだけでも一悶着あるからだ。

 それも含めてやっぱり「この人マジでダメだ!」と思うばかりの主人公なのだが、同時に実は彼女に共感できること、ゆえにどうしても憎めなくなってくるのも、本作の大きな魅力だろう。その理由は、アンドレア・ライズボローの熱演もあってこそ、彼女が苦悩と後悔と自己嫌悪に陥っていることがわかるから。もっと言えば「頭では間違っているとわかっているはずなのに、どうしてもひどい言動をしてしまう」ことそのものにも、彼女は苦しんでいるのだ。

 胸に手を当てて考えてみれば、その「ひどいとわかっているのにやってしまう」矛盾した言動は、多くの人が思い当たるところがあるのではないか。何かの悲劇や不幸に見舞われた時に、手を差し伸べたり、気を遣ってくれたり、そして“怒ってくれる”人もいるのに、その気持ちをむげにしてしまったり、素直に受け入れられない。はたまた、自業自得であるのに、被害者意識が忘れられないという“ずるさ”もまた、誰もが持ち合わせているものだとも思うのだ。

 とはいえ、主人公の言動はいくらなんでもひどいので「こんなことはしない」と思う人がほとんどだろう。それでも、「その気持ち、わかる…!」と共感してしまう人は、決して少なくはないと思うのだ。