リツがリョウに恋愛感情を抱くことを制御できなかったように、リョウもまたリツの思いを受け入れることができません。「友達でいて」と訴えるリョウの悲壮な表情は、恋愛に踏み切れない自分に戸惑っているようにさえ感じられます。はっきりと語られたわけではありませんが、リョウという人物はアセクシュアル、あるいはアロマンティックと呼ばれる、他人に恋愛や性愛感情を抱かないという指向の持ち主であることが示唆されています。
思い返せば、『若草物語』というドラマでは女性のセクシュアルについて意識的に明示しているように感じます。四女のメイは沼田とワンナイトの関係から始まっていますし、音信不通だった三女のエリは田舎町で地元の男と子どもを作っていた。長女のメグもずっと彼氏がいたし、次の男と同棲を始めるという。うっすらと描かれてきた次女・リョウの孤立感が、ここにきてリツ自身が「気持ちを押し付けることは暴力だ」と語っていたその暴力的プロポーズによって白日の下にさらされてしまったわけです。
さらに、沼田とリツに両親がいないこと、4姉妹の母親が放蕩者であることで、このドラマは恋愛や結婚と親の問題を周到に切り離しています。あらゆる選択や決断を、自己責任において下すことを登場人物たちに強いているのです。
そうしたシビアな構造でリョウというひとりの女性を孤独に陥れておいて、次回は最終回。再びリョウは脚本を書くようです。リョウがどんなセリフを書くのかわかりませんが、このドラマは「脚本には書き手の本心、魂が乗る」ということだけは言い続けてきていますので、『若草物語』というドラマが伝えたかったことが、きっと明確になるはずです。
第7話のレビューで「このドラマの脚本家は腹を割って見せるということを恐れていないし、恥じていない。」と書きました。楽しみに待ちましょう。
(文=どらまっ子AKIちゃん)