しかし一年後、天皇が崩御し道教が失脚した後、清麻呂は都に呼び戻されることになります。その後清麻呂は懸命に働き、朝廷や人々のために尽くしました。姉の和気広虫姫も孤児を引き取り我が子として育てるなど、その慈愛の満ちた働きにより子育ての神様として、清麻呂と共にご祭神になっています。

いのししの伝説

さて、いのししと神社の関係ですが、護王神社といのししのつながりはご祭神である和気清麻呂との逸話にあります。清麻呂が流刑にされる際、足の筋を切られまともに歩けない状態にされました。そんな状態でも清麻呂は宇佐八幡宮に信託のお礼を述べに立ち寄ろうとがんばります。

しかし暗殺者まで差し向けられ絶対のピンチに。その時、どこからともなく突如現れたのが300頭のいのしし!清麻呂の周りを取り囲みながら、宇佐八幡宮までの道のりを守り案内したのです。まるで神様のお使いのように。

いのししの道案内を受けてから、清麻呂の足は治り歩けるようになったといいます。その逸話から今も足腰の健康祈願として護王神社は人気です。高齢者の方はもちろんスポーツ選手にも参拝されているそうです。お守りも足腰の図柄のものや、もちろんいのししの柄もいろいあります。

勤王の忠臣

護王神社は京都御所のすぐ側にありますが、元は神護寺の境内にあった清麻呂の廟でした。それが明治天皇の勅命により現在の場所に神社として祀られることになったのです。伝説も入り混じった不思議な事件ですが、清麻呂の行動は結果的に皇位継承を守ったということになり、歴史上忠臣の人物としてその名を後世にとどめることになりました。