実際のところ、グループの拠点が海外になるのか日本になるのか当時は方向性が定まっておらず、「いつ帰るか分からない。スケジュールも分からないので、ドラマとか大きなスケジュール取るもの。どっちになるか分からないので受けれませんっていう、中途半端な感じになってしまって。俺らもどうすればいいんだろうって」と本人たちも困惑していたそうだ。
本来ならそれを仕切る役割の「大人」がいるはずだが、中村海人は「(デビュー後の)だいたい1年とかは副社長とか社長が見届けるんですよ。でも僕たちの場合は帰って来たら副社長(滝沢氏)がいなくなっていたので。グループもそうですけど、レーベルだったり、マネジャー周りも全部最初バラバラだったんですよ。まとめてくれる人がいなくて」と告白。
続けて「だから、その人たちみんなと話し合いながらグループを固めていって、正直今も模索しながらやってるんですけど。やっぱこうね、1年はいてほしかったなとは思いますよね」と滝沢氏への“恨み節”的な発言が飛び出し、これに松田元太は大きくうなずいていた。
滝沢氏の退社については、当時後任となった井ノ原快彦が「引き継ぎなし」で出ていってしまったと明かしていたが、中村の発言を踏まえると、Travis Japanのプロデュースに関しても引き継ぎがなかった可能性が高そうだ。デビュー当時のプロモーション不足や方向性の混乱が「滝沢氏の退社の影響」であることが初めてメンバーの口から示唆されたといえる。
これを受けて、ネット上のファンからは同情や憤りの声が上がっている。
「どれだけ不安だったんだろうか。引き継ぎなしでトラジャやジュニアのメンバーを放り出して、オキニ連れて芸能事務所立ち上げとかありえないよね」
「うみくん、なかなか言いにくい事をはっきりと言ってくれてスカッとしました!」
「滝沢氏、遠回しに『無責任』って言われてるね」
「タッキーに振り回されて大変だったのに、自分たちで今の地位を勝ち取ったんだから立派」