■ベタを丁寧にやるということ
冒頭、マエストロ夏目がウィーンの大オーケストラの指揮を執るシーンがあります。サッとタクトを頭上に掲げると、楽団のメンバーがそれぞれの楽器を構えてスタンバイ。このとき、このドラマには楽器を構える音が入ってるんです。ザザッ、ガチャ、そういう楽器によって違う複雑な音がほんの1秒、ちゃんと挿入されている。こういうところなんです。このドラマは信用できる、と思えるシーンです。
マエストロが天才であることも、実績がすごいと語るだけでなく、ちゃんと「圧倒的な才能があるんだ」と視聴者に理解させる描写がある。いい演奏、すごい指揮、ということではなく「すごい専門家って、音楽をこういうふうにとらえてるんだ」という視点の提示と「こういうふうに伝えると、素人にも伝わるんだ」という指導力の証明、さらに高校時代に演奏に失敗したというトラウマを抱えるティンパニーの泣き言を「面白い!」と言って「運命」のシークエンスを再解釈していくくだりなど、興奮を覚えました。
音楽と人生が近いところにある、音楽と生きている人物というのは、どういうものの考え方をしているのか。本来、断るつもりだった市民オケのコンダクターを引き受けるまでの心の動きは、どんなものだったのか。描くべきエピソードを描き切ることで夏目俊平という人物と能力の両方にリアリティを与えることに成功しています。
こうやってベタなことを丁寧に、ちゃんと説得力が宿るまで徹底的に作り込むことこそが物作りにおける誠意だと思うし、知性だと思うのです。
【こちらの記事も読まれています】