◆手袋は“あってもなくても生きていけるもの”ではあるけれど…
はて、これはいつどういう理由で買ったのだろうかと、記憶を呼び起こしてみると、イギリス旅行に行く前に、寒さ対策として買ったことが思い出されました。
当時、私が読んだ旅行書の中に、「ヨーロッパ旅行できちんとした身なりをしている人と思われたいなら帽子と手袋は必須」という文章があり、私はそれを真(ま)に受けて、ちょっと高価な革の手袋を新調し、薄いベージュのコートに別珍の帽子とスエードの手袋といういで立ちでイギリスを旅したのでした。
自慢するわけではありませんが、私は大変ものもちがいいのです。特に手袋、ベルト、スカーフなどの小物類は10年、20年と当たり前に使っています。この手袋にしても、片方をなくしさえしなければ、そのままずっと使い続けていたでしょう。
手袋というものはあってもなくても生きていけるものです。しかしあったらあったで、手指を冬の寒さや乾燥から守ってくれます。それだけではありません。どうやら、手袋というものはそれ以上の何かを持っているようなのです。
◆手袋を糸口に、記憶がイメージと感情を伴って飛び出た
手袋を片方なくしたことをきっかけに、過去の自分の手袋遍歴について思い返してみることにしました。そうしたところ、面白いように手袋をしていたときの情況が脳裡に浮かび上がってきました。
このスエードの前に使っていた手袋は、ヨウジヤマモトの袖口が手袋になったウールジャージーのトップスの手袋部分だけ切り離して、自分で手の入り口をかがったものでした。袖口が手袋だと、手を洗うときにいちいち濡れるので、切り離して使っていたのです。カーキ色で、薄くて使いやすく、気に入っていましたが、これも途中で片方だけ紛失。
それより前の学生時代には、黒いコートにあわせて黒いカシミヤのシンプルな手袋を使っていたこと、そしてその手袋をして、いつも人がほとんどいない武蔵野線の新小平駅のホームで電車を待っていたことなどを鮮明に思い出しました。
高校生のころの手の入り口に白い模様編みが施されていた、口紅のような深いバラ色のニットの手袋で、学校近くのバス停でなかなか来ないバスを待っていた記憶、中学生のころのクリーム色のニットの五本指手袋をして紅葉坂にある県立青少年センターで演劇部の発表を行った記憶、そして小学生のころの手の甲のところにお花の刺繍がしてあったニットの白いミトンをスキー場に行く途中の車の中でこすり合わせたら、静電気がバチバチした記憶など、手袋を糸口にして、次々と過去の記憶がイメージと感情を伴って飛び出てきました。